畑と工房uguisu

【あなたの"おいしい"のために】 季節をはこぶ菜園 uguisu …

畑と工房uguisu

【あなたの"おいしい"のために】 季節をはこぶ菜園 uguisu 香川県高松市の小さな自然農園です。 無農薬、無肥料、不耕起栽培で、旬の野菜や加工品をお届けします。 料理人、ジェラート職人を経て、農の世界へ。 "おいしい"とは何かを探究する毎日です。

最近の記事

土から学んだこと

田んぼの土と畑の土。 それぞれの役割があり、それを理解しながら作物を育てることは簡単そうで難しい。 今使っている自然農の畑は、元々田んぼだった。 田んぼは、水を溜める性質上、「鋤床層(すきどこそう)」と呼ばれる固い粘土の層がある。作土層も水もちの良い粘土で作られている。 これが田んぼから畑に転換するときに厄介なところで、土の質自体を変えていかなければ作物は育ってくれない。 僕が自然農を認識したのは、農法やテクニックの部分からだった。 「耕さない、肥料農薬を使わない、草や虫

    • 自然農の田んぼで感じたこと

      自然農の師匠、山岡さんの田んぼで田植えをした。 今日は島を飛び出して、砥部市の山のなかの田んぼへ。自然農の田植えは初めての体験で、感情に身を任せながら田植えがしたいと思い、あえて下調べをせずこの日を迎えた。 一般的な慣行栽培の田植えは、経験がある。 耕した田んぼに水を入れ、土と水を攪拌する作業、いわゆる代掻きをして、田んぼの均平を取り、後は機械で植えていく。 肥料や除草剤も撒きながらの効率的な田植えは、作業でしかなく、つまらなさを感じていたように思う。 さて。 では自然農

      • 自然農という名のゼロ地点

        山に登るという表現は、時に比喩として、目標に向かって進むこと、コツコツと毎日続けること、のように使うのですが、自然農に出会い、師匠や研修仲間と話したり考えたりする中で、「山に登る」ではない、何か違うイメージが浮かぶようになりました。 それは、「山をくだる」というイメージ。 自分の足で前に進むというよりは、流れに身を任せるようなとても受動的な感覚です。 以前みんなで、「無目的」であることはどういう状態かということを話し合いました。 自分の中から生まれた一つのあやふやな答え

        • 春の畑仕事は忙しい

          あっという間に4月。 一雨ふるごとに植物たちの生育は目まぐるしく、ついていくのがやっとで、やることは増えるばかり。 花は咲き乱れ、甘い匂いは虫たちを誘う。 それを狙って蜘蛛やカエル、トカゲたちも元気に動き回り始めたよう。 春が忙しいのはもちろんわかっていたこと。農民に休みはなく、自然は待ってくれない。 ついつい朝から晩まで作業をしてしまうけれど、忘れないようにしている教えがある。 師匠の教えてくれたこと それは無理をしないということである。 当たり前のようだがこれがな

        土から学んだこと

          時空を超えた境地

          あなたは「ゾーン」に入ったことがあるだろうか。 師匠の家で他の研修仲間と話していた。 これから畑は賑やかな季節を迎える。当然やることも増える。 草整理、育苗など春は忙しい。 そんな時こそ目の前の作業に集中することを大事にしようと師匠は教えてくれた。 目下の草をひとつずつ丁寧に刈っていく。時計は見ない、後どれくらいで終わるかを考えない。 ただ目の前の作業にひたすら取り組む。 するといつもより短い時間で作業が終わっていることがあるという。その瞬間はいつもより高い境地に立って

          時空を超えた境地

          自然農を始めるあなたへ

          自然の中の循環を大切に、自然と寄り添う農家が増えつつあると感じる。 肥料や資材の高騰を背景に今までの農業から転換する人、初めて農の世界に足を踏み入れる人と多種多様だが、僕自身は自然農をお勧めしたいと思う。 僕の行う自然農に「耕さない」という原則がある。文字通り、できるだけ土中環境を壊さないように、不耕起もしくは浅く耕す(浅耕)程度にとどめること。 これは人それぞれだが、畑の環境を見て判断する。必要があれば最小限の範囲で耕す。そんな感じだ。 土の中の構造を潰したり混ぜ返した

          自然農を始めるあなたへ

          菜の花の季節、畑で小躍りするように

          このところ雨がちな瀬戸内地方。 たまの晴れ間に畑でぼーっとするのは最高の贅沢だ。 陽の光を浴びる。体をぐうっと伸ばして深呼吸。おそらく畑の虫たち、植物たちも同じだろう。 みんなで伸びをする。 アブラナ科の植物たちは花芽をつけ始める季節だ。次の世代を残すため、寒い時期に体を作って春に備える。寒さにあたって凍ってしまわないように、アントシアニンを出し赤紫色に染まるものもいて、たくましさに見惚れてしまう。 自然農を実践する先輩方からよく聞いていたのは、白菜の菜の花のはなし。 本

          菜の花の季節、畑で小躍りするように

          農法の違いは分断を生むのか。

          今回は少し大きな話に切り込んでみようと思う。 最近よく見聞きする自然農や自然栽培に対する冷ややかな声。 その多くは、慣行栽培(農薬、化学肥料を適切に使った栽培)に対する批判に反応した人たちの声だと感じる。 無農薬、無肥料栽培が不可能で綺麗事であるというような、その人の経験に基づく指摘は、まだわからないでもない。その方の長年の経験から導き出された答えを否定することはできないと思う。 農薬、化学肥料の安全性の議論は尽きないが、これもまだ研究が進んでいるとは思えないし、国家レ

          農法の違いは分断を生むのか。

          自然農と幸せ

          このところ気温がぐんぐん上がり、春のような陽気。雨も降り、太陽も照り、畑の生き物たちもキラキラとしている。 毎日畑を見回るとあまり違いがわからないものだけれど、少し時間を空けて見に行くとその違いに驚く。 この間まで鉛筆ほどに細かった玉ねぎがぐーんと伸びて朝露でキラキラ光っている。 大根は花芽がのぞいている。 虫たちも活発に活動していて、てんとう虫やミツバチも見るようになった。 レタスはひとまわり大きくなっている。 ひとつひとつの生命が躍動している。ダンスを踊っている。

          自然農と幸せ

          自然農と向き合う

          劇的な変化に対抗できるのは、ゆっくりとした日々の積み重ねだと思う。 自然界は常にバランスをとるように動いている。それは植物、小動物、微生物がそれぞれに生命を全うすることで達成されて行く。とてもゆっくりと、着実に。 10年に一度の酷暑、自然災害など、今、私たちの生活に影響を与えている「大きな変化」は、何も今に始まったことではない。 人間が自然と共生していた時代から現在の人間中心の世界へ、それもまさに大きな変化だと思うが、この変化に自然はどう対応するのか。 人間の搾取によっ

          自然農と向き合う

          利己的な料理人から利他的な農民へ

          高校を卒業してからこれまで15年以上、料理の世界に身を置いてきた。 厳しい修行を乗り越えた先輩たちに料理のイロハを叩き込まれ、それでも歯を食いしばって耐えた経験が今の自分を作っていることは間違いない。 しかしその後、農業の世界に足を踏み入れてみて思うことは、自分はなんて利己的だったのだろうということだ。 美味しい料理をお客さんに届けることが正義。鮮度の良し悪し、価格、生産現場の実情など、料理においてとても根本的な食材について本当に無関心だったと反省している。 もちろんいい食

          利己的な料理人から利他的な農民へ