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利己的な料理人から利他的な農民へ

高校を卒業してからこれまで15年以上、料理の世界に身を置いてきた。
厳しい修行を乗り越えた先輩たちに料理のイロハを叩き込まれ、それでも歯を食いしばって耐えた経験が今の自分を作っていることは間違いない。
しかしその後、農業の世界に足を踏み入れてみて思うことは、自分はなんて利己的だったのだろうということだ。


美味しい料理をお客さんに届けることが正義。鮮度の良し悪し、価格、生産現場の実情など、料理においてとても根本的な食材について本当に無関心だったと反省している。
もちろんいい食材を探して、生産者と話して、食材の良さを活かすことに注力してきたことは言うまでもない。自分の料理とは何か、個性とは、価値とは何かを考えながら料理を作ってきたと思う。けれど、周りの料理人と競うことや時代が求めるものに翻弄されながら「自分の料理」は完成することなく今に至る。

料理から離れ、自然の中に身を置いて思い知るのは、当たり前じゃないということ。
たくさんの命が同じ空間で躍動する。その中で所謂「野菜」を育てることは不自然なことでしかなく、簡単なことではない。
大根一本とってみても、生育や味にはばらつきがあるし、日々うまくいかないことの連続である。それが当たり前、それが自然なんだ。
そう感じた時に、料理人時代の自分を深く恥じたのだった。

距離を置くことで初めて、
わかることがある。
この感覚、このリアリティを今料理に携わる人には感じてもらいたい。あなたが使うその食材はどれだけの犠牲の上に成り立っているのか。それはとても根本的な、そして本質的な問いであると思う。

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