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脚光にまどわされずにいきたいっすね

自宅で進めているとある作業に飽きたときには、軽く読める新書を手に取ってぱらぱらとページをめくります。言語に関するテーマのものが圧倒的に多くなってしまうのは仕様なのですが、

黒田龍之助『ポケットに外国語を』など読んでいると、やはりうまいこと語学のエッセイを書かれているなあと毎回嘆息することこの上ないわけですが、そんな黒田氏なので外国語の勉強や語学に関してのエッセンスはあらかたこの方が語りつくしているということが、読み返してみてわかってしまってつらいですね…。

私など、結局彼の追体験をしているだけな気も。二番煎じにすらなっていないんだろうなとも思う昨今です。

もっとも黒田氏はスラヴ諸語がご専門ですが、わたしのほうはテュルク諸語のほうに関心がある、という違いはあります。しかし、それでも母語以外の言語に触れるときの共通項というか、共感できるところは少なくないなということも改めて感じます。

さて今日は、このエッセイ集の最初のほうに所収されてある「ウクライナ語のウォッカ」というところが改めて目に留まります。

初出は1999年(その後改題して上記書籍に所収とのこと)ですから、現在のようにウクライナ(語)がフォーカスされるずっと前から、黒田氏はウクライナ語の勉強を始めていたということになりますね。

で。おそらく、彼自身はウクライナ(語)が世間から注目されるかどうかということにはほとんど関心がなかったと思うのです。同書の内容から見ても、純粋に興味で始められたのだろうと推察されます。

それが今年起こった侵略の一件で、波及的に日本でもウクライナ語への関心が高まることになっている(らしいですね?)。期せずして、ウクライナ語の語学書がずいぶんと探されるようになっているのだそうで。

ただ、ウクライナ語熱が高まったのはそれなりに意義のあることなのだろうとは思う一方で、この熱もどこまで、どの程度もつのかな?という関心(というか疑念というか)は個人的に持っています。

もちろん、戦争は一刻も早く終結してほしいのは言うまでもありませんが。


ウクライナ語が突如脚光を浴びているのを見て、自分もふと昔のことを思い出したりします。ときは1996年、外大トルコ語専攻を志してがんばって受験英語に磨きをかけていた(自称)ころ、周りの反応は冷ややかだったなと。

「トルコ語とかやって何か意味あるの?」とか、「総合大学を受験して受かる自信がないから外大を受験するんでしょ?」(←思い返してもこの言い方はひどいw あえて"w"をつけたくなるくらい身もふたもない発言ですな。まあ完全否定こそしないが)とか。

長崎という異国情緒なき地方都市の公立高校で、一人トルコに強い関心をもってしまって、なにがなんでも大学ではトルコ語(と、当時はそれよりもっとクルド語に触れてみたかったことは正直に告白しております)を勉強してやるんだと思っていました。

入学後も、学外はおろか大学内でもよその専攻語の学生には「へー、トルコ語専攻とかうちにあったんや」(←ひどい)とか、「トルコ?それどこにあるん?」(←外大生がそんなこと言うたら敗北では)とか、はたまた「そんなことより英語を(以下略)」(←あんた(以下略))。まあそれはそれは風の冷たいことでしたよね…。

それでも気にせず(実際は少なからず気にしていたけど)とばかりに、トルコあるいはトルコ語にしがみついて、25年ほど経ちました。25年ってまあまあ長いっすね。そのわりにはまだまだ全然、トルコ語が力不足なのですが。

昨今のウクライナ語ほどかどうかはわかりませんが、トルコもトルコ語のほうも今となってはかなりの知名度をもっているでしょう(異論は認めない。なんせ昨今のトルコ語講座の盛況っぷりをご覧ください)。

90年代後半のあの冷ややかな世間の反応を思えば、本当に隔世の感があります。

だけど、それはそれ、これはこれです。世間の知名度は語学を続けるうえでは本質的なところじゃないよね、ということを要するに言いたいのです。

語学に取り掛かって、その後うまく続いている人というのはは、世間からどう見られるかとか、その言語をやることでなにか具体的な恩恵(たとえば金銭とか名声とか)を受けられそうかどうか、という点はほとんど気にしていないのではないかと。

だからこそ続いているという部分、きっとあると思います。

そもそも、なにか外国語(日本国内の言語でももちろんいいのですが!)に触れてみたら、ぜったい楽しい部分が出てくるんですよね。そこを一人享受するほかに続ける道はないです。ここは間違いないと思います。

で、見返りを気にせずに1年、また1年と続けていったその先に…たまたま世間が注目する何かがある(かもしれない)、ということにすぎないのではないかと思うなどします。

そんなわけで、脚光は浴びるかもしれないし、浴びないかもしれません。でも、そこはさほど重要なポイントじゃない気がします。もっと重要なのは、…まあなにか外国語、やってみてください。百聞はなんとかになんとかっていうでしょ?

なお、私の個人的なオススメは(以下テュルク諸語を列挙)

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