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気がつけば1クール

1月後半から受講開始したペルシア語講座、初回こそ緊張したものでしたが気が付けばもう10回ぶんの講座が終わっていて、そろそろ学期の最終回も見えてきました。時間の経過を忘れるくらい楽しい講座で、僭越ながらこれは「アタリ」を引いたなと一人喜んでいるところです。

やはり独学でやるのと比べると、先生に教えてもらうというのでは効率もスピードも全然違うものだなと思いますし、先生がまたたいへん丁寧に授業を展開なさるもので、語学を教える側の立場からという点でも相当勉強になったように思います。

トルコ語、アゼルバイジャン語からするとペルシア語は名実ともに切り離すことのできない「お隣」の言語なわけですが、たびたび書いている通りなんといってもペルシア文字にだいぶ慣れてきたというのはちょっとした財産だなと思えます。

自分にとってはそれだけでなく語彙も大変興味深くて、「ああこの単語はウズベク語で/アゼルバイジャン語で/トルコ語で見たことあるぞ」というものがとても多い。知識としては知っていたのですが、ペルシア語を直接見ることで、改めてそれが実感できたというのが非常に大きいです。

まだ9段階あるクラスのうちの2段階目の受講途中の身ではあるのですが、今後もペルシア語を続けるよい動機を手にすることができたように思います。これはもう、いけるところまで続けたいですね。ペルシア語楽しいですよ。トルコ語専攻のオレがいうんですから間違いない。


そういえば、私の大学学部、トルコ語の恩師は同じ大学の先輩にあたり、かつペルシア語学科の卒業だったと記憶しています。ペルシア語専攻時代、キャンパスが大阪のいわゆる「上六」にあったころの話も含めて当時のいろいろな話を院生時代に伺ったことを思い出します。

その恩師のペルシア語・トルコ語の運用能力にはどちらのほうもはるか及ばないにしても、順序違いながらも両言語に興味を持ち、気が付けば同じ路線に立とうとしているのかと思うと… いやまあ、さほどそれ自体には感慨はないのですが(←)、もっとペルシア語そのものを早い段階で勉強しておいたらよかったかもなあ、と例のバイアスかかりまくった思考にふけっている、そんな東京出張前夜であります。

そんな明日の東京での報告内容、じつはアゼルバイジャン語がペルシア語からどの程度影響を受けているのか春から調べていきます、という趣旨だったりします。さあ研究よ、オレをイランにいざなってくれ!という心境でもあります。

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