【研究日誌】やあかつて自炊した本たち、ひさしぶり
かつて、こんな自分にもわりと経済的に余裕のある時代というものがありました(その後はさっぱりなのですがそれはまあいいとしましょう)。わりと気軽に自費で本を買える環境だったので、自宅のスペースはだいぶ困ったことになったこともありました。
読書が趣味…というわけでもないのですが、買う行為そのものが愉しみであったということはあるでしょう(これは今でももちろん)。それに研究材料として使うためにも、書籍は和書・洋書ともに積極的に購入していたものでした(特にトルコ語で書かれた本は現地の通販からまとめ買いしていたものです。今は送料が割高でなかなか思い切れないのですが)。
しかして当然の帰結…限られたスペースの中で新しい本を迎え入れるたびに、古い本をどうするかという問題に直面することになります。
当時解決策として選んだのは「自炊」(懐かしい用語ですが今もまだ生きているのでしょうか?)、本を裁断してPDFファイルとしてデジタル化することでした。物理的なスペースの確保だけでなく、データを保存する手段として一定の効果はあったでしょう。それでも大阪から撤退する際にはずいぶん本の搬出に難儀したことでしたけどもね…。
当時は高速で紙送りするスキャナを買って、とにかくPDF化してもよいものからどんどんデータ化していったのでありました。それぞれのページがデジタルデータになる一方で、物理的に本としての体をなさなくなる寂しさというものはやはりありましょう。
結局PDF化した後、これらのファイルはパソコンのフォルダの中に保管され、ほとんど日の目を見ることなく長い間眠り続けたのでありました。
で。
かねてより周りからいいぞと言われていた"Quaderno"という電子ペーパーを最近不肖わたくしも手に入れる機会がありました。
このデバイスの導入はたぶん「当たり」というか、正解です。なんせ物理的に軽いし、そのまま書き込みもできるし、これはまた人類、すごいものを作り出したものだわと。PDFファイルはPCにアプリを入れて簡単に管理できるのもよきです。
そんなわけで、長らく忘れられていたPDFファイルたちに再び活が入りました。
懐かしいファイル群…たとえば、昨日オンラインで勉強会をしていて、そういえば昔自炊したトルコ語のとある動詞に特化した専門書があったはず…と思い出しまして、さっそくその自炊したファイルが引っ張り出されてきたというよき事案もありました。(読んだとは言っていないが)
忘れていた本、積読だったものも多数ありますのでね…。
いろいろ当時考えていたことの記憶が蘇ったり、新たな論文のネタに昇華されると信じたいところです。
まあ今年は、トルコとアゼルバイジャンにそれぞれ渡航予定がありますので…また紙の本が増える可能性しかないという話はあるのですが。とある先生が数年前だったか、いずれにしたって物理的なスペースには限界があるんだから早いうちに電子化しておいたら、とご助言してくださっていた気もしますが(あまり今のところ自分の脳には響いていないかもしれない…)紙の本は紙の本でよきですからね。
まして、『星の王子さま』(LPP)などはぜったいに紙でないといけません(反論は認めるが)。LPPは物理的にそれがそこにあるからよきなのですよね。
そういえば、テュルク諸語のLPPですが。
「自炊」とは違う形で、テキストをデジタル化してコンピュータで処理できるようにしていく作業というものもやってはいます。これも研究ネタのタネになるといいなと思ってですね…。
結局、デジタルとアナログの世界を行ったり来たりする生活は変わらないわけですか。とはいえ、デジタル移行という面でのフェーズは10数年前とはだいぶ変わってきているということはあるように思いますが、果たして実際のところはどうでしょうか。
自分もある程度はついていかないとな…とは思います。
ということで(ということで?)みなさまもよき週末をお過ごしください。読書しようね、読書…。
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