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春、小野原、大阪外大、トルコ語

いやあ。春ですねえ。気がつけば冬がどこかに行ってしまいました。

人によっては、ちょうど新生活が始まる時期ですね。自分ももう25年以上前の話になりますが、トルコ語を勉強しようということで長崎から大阪に引っ越した時期のことをふと思い出します。

今でも最初に借りたアパートの名前も住所も覚えています。箕面、小野原。当時、大阪外大が粟生間谷という箕面市の北東の果て(なるほど、「外大」と書いて「そとだい」と読むとはよういうたもんで…と当時誰かが何かに書いてました)にありましたので、その近いところで外大生も多数住んでいるよ!というセールストークに引き込まれるような形で、ワンルームの部屋を借りたのでありました。

当時すぐ近くに「木馬館」という日用品のディスカウントショップなどもありましてね…今は住宅街になってしまっているエリアも、かつては広々とした畑だったのです。大阪には来たけれど、それほど都会感もない場所で(いい意味で)、私のような地方出身者にとってはわりとありがたい環境だったと思います。

今思うと、実家を離れて一人で何もかもやらなければならないということでもあって不安でしたし、実際最初の頃はかなり精神的にも不安定だったように思います。

大学では友達ができるだろうかとか、そんなことも不安の一つだったような。今思えば大学で友達ができることそのものは大したことではなかったのですが、そういう話をしてくれる人もすぐ近くにいたわけでもありませんでしたからね。今になってわかっていること、思うことはすべて後付けでしかありません。

小野原は当時の粟生間谷キャンパスからは多少離れていたのですが、生活しやすいエリアということもあって当時外大生がたくさん私と同じように下宿していました。大学生活が続くにつれ、小野原近辺に住んでいる知り合いも増えていきましたから、なんだかんだで学校外の時間も楽しかったように思います。

トルコ語専攻の同級生とは残念なことに学部時代はあまり仲良くなれませんでしたが(これは今思い返しても9割がた私に原因があるのですが)、ハンガリー語専攻とかベトナム語あたりに当時たくさん知り合いができたのは幸運だったと思います。

このあたりは、長崎にいた頃からちょっと思い描いていた通りの結果になったと言えるかもしれません。交際相手こそできなかったけどな!ガハハ!!

トルコのギレスンという街から見た、黒海です。どんよりしていますね
(本文の内容とはあまり関係ありません。2019年5月撮影)

さておき。

大阪は結局、その後なんだかんだと長く住みました。通算17年は住んでいたことになりますので、人格的にも環境的にも多大な影響を受けた場所なのは間違いないです。

よい思い出もいまだにきつい思い出も全て残っていますが、唯一住み始めた頃によかったなと思うことは、大学で修めようと思ったトルコ語そのものを好きでい続けられたことでしょう。

その気になれば、学部の卒業と同時にトルコ語からいったん「足を洗う」という選択肢はあったはずですが、自分はそれを選ばなかったわけです。それどころか、いまだに執着しているというですね。

執着が実って…というべきなのかどうなのか。来週からはその、自分が大学で学んでいたトルコ語を教えるという仕事もまた年度を新たに始まります。あの時の箕面での「トルコ語やったるでぇ」の決意を思い出しながら、   といっても自分の担当はオンラインでしかありませんが   、他の人へそれを伝えていくということで、またがんばっていこうと新たに思うのでありました。

あの当時の自分と今の自分の違いは、もちろんいろいろあります。
最たるところでいえば、今の自分はトルコ語以外の諸言語にも関心が向いてきているということはあるように思いますが、それでもトルコ語にはやはり思い入れがあるというか、一番執着が強い言語なのだろうなと思います。

こんな楽しいものを、自分だけ享受するのももったいない。ぜひ一人でも多くの方にそれが伝わるようにということでやっていきます。どうぞお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。

この春から新生活が始まるみなさまにも、よき未来が待っていることを願います。トルコ語、テュルク諸語を新しく始める人たちは特に応援しちゃうからな!Bol bol başarılar!

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