『星の王子さま』で読むクムク語(1)
やり残していた例のアレ
最近は通院の話ばかりしておりましてすっかり忘れていたのですが、私は『星の王子さま』からテュルク諸語に触れてみましょう、という企画を不定期ながら細々とやっていたのでしたっけね。
これまで、アゼルバイジャン語とカラチャイ・バルカル語について解説を試みたこともありました。もうずいぶん前に書いたもののようです。懐かしいっすなぁ…。
今後もこれはシリーズとして、ちょこちょこやっていこうと思っています。
なんせこちとら、20近いテュルク諸語翻訳版を持っていますからね。元ネタなら事欠きません。時間とやる気とみなさまからの称賛があれば、いくらでも書けるのですけどね!
言うとりますけども。そんなわけで、今回はクムク語を見てみましょう。
クムク語について
そもそもクムク語って、どこで話されている言語?と思われる方も多いかもしれません。まずはその話からしておきましょう。
クムク語は北コーカサス、主にダゲスタンで話されているテュルク諸語の一つ。話者数は40万人ほどですが、まだ深刻でないとはいえ消滅の危機が懸念されている言語と認定されているようです。言語系統はテュルク語北西語群(別名、キプチャク語群)に属します。近隣の言語としてはカラチャイ・バルカル語、ノガイ語などを挙げることができます。
では、クムク語を実際に見てみましょう
さて、今までこのシリーズでは各言語の第1章にあたる部分を主に見てきたのですが、今回は少しずらして、第2章を見てみましょう。出典は、以下の本です。
貴重な貴重な、クムク語訳。幸運にして手に入った思い出の一冊です。
以下、出典元の第2章を一文ずつ引用、分析していきましょう。
各例文では最初に原語、その下にローマ字転写、グロス、訳の順に示していきます。
(1)でまず気づくことの一つに、名詞の複数形が-laになっているということがあります。多くのテュルク諸語と同様クムク語でも「複数」を表す接辞は-lar/-lerという接辞で、最終子音には/r/があります。しかしこの言語ではこの後にさらに所有格・目的語格・方向格といった格語尾が続く場合、末尾子音の/r/が消失します(cf. Pekacar 2008: 975)。
またこれは要研究ですが、文頭にある指示詞の体系も気になるところ。クムク語の指示詞はbu, šu, šo, oの4体系なのだそうですが、"šu"と"šo"の区別がどういったものなのかは手元にある資料からは特定できませんでした。この指示詞の変化形といえる"Шолай (šolay)"は辞書では「このように、そのように、あのように」と説明しているのですが、文脈指示としてどのような用法ということができるのか。ほかにめぼしい文法解説を見つけられなければ、このことについてはテキストをさらに読み込んで考える必要がありそうです。
冒頭のМуна (Muna)は聞き手に注意を促す(聞き手の注意をひきつける、といったほうがより正確かもしれません)という機能をもつ語で、和訳がしにくい感じはあります。また、よく知られていることなのだそうですがクムク語は所有格(日本語でいうと、ノ格に相当)と目的語格(同;ヲ格)のかたちが同じ語形になります。
ですので、(2)の例でいえばсамолётумну (samolyot-um-nu)は「ぼくの飛行機の」「ぼくの飛行機を」の両方の語形ということになります。「ノ」なのか「ヲ」なのか。どちらの意味なのかは、その後に続く語が名詞か述語かで判断することになります。
(2)の例では、самолётумнуのあとに続くбир заты (bir zat-ï)「一部分」という名詞句があるので、ああなるほど、「ぼくの飛行機の一部分」、つまり-nuの部分は所有格なのだね、と判断できるわけです。
(3)で、"ne A, ne (de) B 述語"の構文は「AもBも…ない」という意味になります。テュルク系由来ではない文法構造と言えますが、クムク語にもこの構文が入ってきていますね。存在詞の否定語はёкъ (yoq)で、これも近隣のテュルク諸語と同じ語形といえそうです。
(4)では前述の指示詞、шо (šo)が出てきています。шо саялы (šo sayalï)で「そのため」と訳せるのはいいのですが、文脈指示での使い方は依然として要調査ということになりそうです。また、動詞の仮定形に添加の付属語de/daの組み合わせで「…だとしても」の意味。このあたりはトルコ語からでも類推が利くところですね。
また、再帰代名詞はözで表すこともわかります。これに適宜人称語尾を付加して、「私自身」「君自身」…といった意味を表す、と。
これはアゼルバイジャン語あたりでも同じ語形・文法ですので、そのあたりの言語の知識があればやはり類推がきく部分と言えそうです。
(5)では動詞の未来形が出ていますが、トルコ語やアゼルバイジャン語あたりとは未来形接辞が似ていながらもわずかに違います。トルコ語的には、母音語幹に未来形が付加されると半母音のy/j/が追加されます。(5)の述語であれば、トルコ語であれば"bažarïl-ma-yažaq"のような形態になるのでしょうが、クムク語のほうは母音に未来形接辞が付加される場合、接辞の母音部分のほうを脱落させるのですね。
したがってクムク語の未来形接辞は、まとめて表示するとすれば"-(a)žaq/-(e)žek"ということになります。トルコ語やアゼルバイジャン語なら、"-(y)acak/-(y)ecek"となるところです。似て非なり。
(6)は形容詞を述語とする文です。アゼルバイジャン語ではこういった名詞述語・形容詞述語で3人称が主語のときにも付属語がつくのですが、クムク語にはそういった付属語が付加されるという現象はなさそうですね。
あと、個人的に「おっ」と思うのが「一週間」を表す語が"жума (žuma)"であるということです。この語は、トルコ語などでは「金曜日」の意味なのですが、クムク語ではこの語が一週間=7日間全体を指し示すのですね。借用元のアラビア語でも、"žuma"は金曜日のみを表す語のようですが。
(7)は比較的分析しやすい文だと思います。辞書があれば無問題。そして私の手元にはとある方からトルコ土産にいただいたクムク語-トルコ語辞書がある!
(8)は、クムク語訳者の方が参照されたロシア語訳の影響があるかもしれません。原語には該当の内容がないかもしれませんが、さてどうでしょうか。
なお、「近い」は"yuvuk"という語なのですね。これは辞書を引かないとわかりませんでした。
(9)で、тас бол- (tas bol-)はこの2語で「遭難する;迷子になる」の意味。グロス作業では悩ましいタイプのやつですね。
なお連体形ですが、クムク語はおもに非過去の連体形(-ag'an/-yg'an/-igin/-ygin) と、過去の連体形(-g'an/-gen)の2種の分布があるようです。ウズベク語あたりだと連体形は3種類あるはずですが、このあたりの分類も面白そうなトピックかもしれませんね。
さて、今日は下の(10)で最後にします。みなさんもやってみたらわかってくださると思うのですが、分析ってね…以外に疲れますねん…
(10)はまあまあ苦労しましたが、なんとか訳せました。2語めの"мени (meni)"が所有格なのか目的格なのかを見分けるのに難儀したのです。しばらく後に「起こす」という動詞があったので、ああこれは目的語格のほうだと判別できた次第でした。これ、母語話者は苦労しないんでしょうかねえ?
「考える」はoyla-なのですね。ウズベク語を思い出すタイプの動詞です。トルコ語なら「考える」はdüşün-という別系統の動詞ですからね。
さあさあ。いかがだったでしょうか。
トルコ語、あるいはテュルク諸語のいくつかをすでにご存じのみなさまは、初見でクムク語をどのくらい理解できそうですか?多くのテュルク諸語と共通した特徴を持ちつつも、独自のかたちや文法を持っていることが、第2章のうち半分弱を読むだけでもよくわかりますね。
ということで、第2節の残りの文はまた後日。王子さまと「ぼく」の会話のパートもやはり見ておきたいところですよね!
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