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2013年アナトリア南東部旅行の記録(4): ウルファ近郊(ギョべクリテぺ、ハッラン)

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ギョべクリテぺの遺跡を訪ねる

2013年8月12日、泊まっていた宿のオーナーが扱っていた近郊ツアーに申し込みして、郊外のギョべクリテぺ遺跡に連れていってもらうことに。何人か参加者が集まればもう少しツアー費が安くなったと思うのですが、残念ながら希望者は私だけだったようで。

ギョべクリテぺというのは新石器時代の遺跡で、2018年にも世界遺産に認定されています。私は世界遺産に認定される前に、この地を訪れる機会を得ていたというわけです(ドヤ顔)。まあ、世界遺産に認定されるかどうかっていうことそれ自体は、本質的な問題ではないんでしょうけどね。

トルコの今位置しているアナトリアというのはとにかく歴史的にいろんな王朝や集落が興亡を繰り返した場所。掘れば何か出てくるというくらい、考古学的な話題には事欠かない場所です。実際、日本からも研究チームがトルコに拠点を構えていますし。ギョべクリテぺではないですが、アナトリア考古学研究所の活動については以下のリンクからも情報が得られそうです。

さてそれはともかく、ツアー100リラ!

まあ仕方ない、これも取材の一種だと言いながら、100リラほど払って参加しました(今でこそトルコリラは安いですが、この時期の1リラは日本円でいくらくらいだったか…?)。

自力でいければよかったのですが、現地の人曰く、そこまで走っている公共機関はないから、車かなにかを使わないとたどりつけないよ、と。

なるほど、その辺のタクシーと交渉するのも面倒だなということで、そのまま定宿の力を借りることにしました。

朝食(kahvaltı)

その前に、ちょっとトルコの朝食の話をしておかなければなりませんかね。

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まずは朝食を食べておかねば。この宿には3泊しましたが、部屋も快適で朝食もおいしかった思い出があります。1泊30ユーロくらいだったかどうだったか。写真だとわかりにくいですが、朝食はトルコ式、かつちょっとぜいたくバージョンだったと思います。シガラ・ボレイ(紙巻きたばこのような形状の春巻き、その形状から「シガラ」(たばこ)と名前がついています)と、奥の方にはメネメン(トルコ式スクランブルエッグ)もあるので。これにパンとチャイがついてますから、全部食べ切ってしまえばかなりのボリュームになるというわけです。

ということで、車に乗せてもらって出発します。写真は残っていませんが、かなり年季の入った車で移動しました。

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途中の街並みの景色を、目に焼き付けておこうと思っていたのを覚えています。とにかく南東部はこれが初めて、次にいつ来れるかもわからないんだから。そう言いながら、何があったか何を見たか、一見どうということはないものでも見ておく必要があるなと。こういう写真が残っているということからも当時の自分の心境を思い出せます。

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移動の途中に、どうしても見せておきたいからというので、こういう公共の資本で整備された用水路などのインフラ設備も見せてもらいます。道中、こういう設備投資にからんだ当地のことについても、運転手(オーナーのお父さんということになっていた)の方からいろいろ思うところを聞きました。

そういう話は、今になって思えばですが、なかなか当地ではできる相手も限られていたのかもしれないなとも思います。政治の話、社会の話がリスキーなのはどこも同じ、ということだったかもしれません。憶測ですけど。

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丘の上の方にやってきました。ギョべクリテぺの看板が見えます。ただ、正直ギョべクリテぺの方は事前の勉強不足ということもあって、あまり興味がわかず。とりあえず、見ておくだけ見ておこうと思っていたと記憶しています。当時のノートにもあまり記録が残っていないので、そういうことだったのでしょう。

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とりあえず看板を見て、自分がどこに何を見にきたかを確認します。

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ほうほうなるほど。遺跡がこうやってね。残っていると。

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なるほどなるほど。「なるほど」しか言うてへんけども。新石器時代の石柱がこうやって発掘されたというわけだ、と、そういうことは理解できます。考古学、あまり興味持てていなかったですよね。

その点は、今もあまり変わらないかも。だけど、そこから文字の入った何かが出てきたらたぶん目の色が変わるんじゃないかな。自分。

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この辺からこういうものが確認されています、という表示。どの時代にどの辺のものが、というのはたしかにちょっと興味を引かれます。

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石垣はたしかに自分のような興味なしの素人でもおおっ、と思います。こういう石柱も出てきているんですよ、とかそういうのも。

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さすがアナトリアの大地、こういうものがいくらでもその辺から出てくるんだろうなという感想を持ちつつ、ギョべクリテぺを堪能しました。

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しかしアナトリアの大地の広いこと。南東部に限りませんが、バスで移動していても、見渡す限りの大地というか、ほんとに広いなと毎回思います。実際、トルコ共和国の国土の面積は日本のほぼ2倍。人口は大して日本の6割か7割くらいなわけで、こういう土地をうまいこと利用できたら、とんでもない国になるのにねえ、とよく言っていたものでした。

もっともそうならないのが良くも悪くもトルコという国なわけですが(5年滞在して、それはよくわかったつもりです。ハハハ)。

ということで、ギョべクリテぺの記録でした。この日、「ハッランはどうするんだ、行くのか行かないのか」とこの運転手さんに聞かれたのですが、ハッランは自力でいけるよなと思っていました。わざわざチャーターの車で行かなくても…それに、自力で交通機関で行った方がネタとしても面白いかな?と思って。

自力でハッランへ

宿に帰ってきて少々休憩してから、ハッラン(Harran)に向かいました。今度は自力での移動に挑戦です。(って、ウルファまで来ておいて今更自力もなにもないんですが)

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結論からいうと、ハッランは期待したほど面白いとも思わなかったのですが、とりあえず写真にさえ例の家屋のたたずまい(日干し煉瓦を使った、ドーム型の屋根)を収めることができれば上出来かなという部分はありました。

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ということで、この日無事ウルファに帰ってきて、その日の夕方食べたものが見事にあたってしまった私、翌日からシャレにならない腹痛との闘いが始まっていくのでありました。

なんとか1日しのいで、8月14日にウルファをアウト、次のアンテプ(ガーズィアンテプ)に向かいました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!投げ銭ご投入くださる方、およびマガジン購入くださった方には引き続き、エクストラコンテンツということでハッランの写真などをもう少しお見せしたいと思います!

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