菅直人・元総理がふりかえる福島第一原発事故最初の25時間(下) 自分が決裁しなければ住民避難が始まらないことがわからなかった
3・11当時の総理大臣だった菅直人・衆議院議員へのインタビューの後半を報告する。
この項では拙著「福島第一原発 メルトダウンまでの50年」(明石書店)で取り上げた、3・11当日のいくつかのロスタイムについて尋ねた。
(1)「なぜ避難命令の法律的な開始宣言である原子力災害非常事態宣言を出さないまま与野党党首会談に席を外したのか」。
(2)「テレビ用のやらせ閣僚会議を開いたのはなぜか。それは誰の発案だったのか」である。
拙著「福島第一原発 メルトダウンまでの50年」で私は、2011年3月11日の地震発生から、翌12日の福島第一原発1号機の水素爆発までの約25時間に絞って、政府内(原子力安全・保安院、経産省、首相官邸など)の情報伝達で、どれくらいのロスタイムが生じ、それが周辺住民避難の遅れにつながったかを精査してみた。原発が立地する福島県・双葉町にある「双葉厚生病院」(原発から3キロ)から避難する途中だった住民や職員約300人が、30分差で水素爆発からの脱出に間に合わず、爆発の降下物を浴びたからである。住民避難があと30分早ければ、住民が放射性降下物を浴びることはなかった。つまり、原発事故の際は、政府内部での30分の時間のロスが、周辺住民にとっては致命的な遅れにつながる。これが福島第一原発事故の重要な教訓である。
そのロスタイムが発生したいくつかのポイントに菅総理がいたことが、その場に居合わせた関係者の証言でわかっていた。
このインタビューの後半は「メルトダウンまでの50年」の出版前に菅氏への取材が実現していれば、その中に織り込まれたはずの部分である。そういう意味で、本インタビューは同書の「バージョン・アップ」である。8月に発行予定の同書電子版には、こうした紙版発行後に取材してわかった内容「バージョンアップ」を反映する予定だ。
資料を見ながら質問に答える菅直人・元総理(2016年5月20日、東京・永田町の衆議院第一会館内の菅氏の事務所で)
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