見出し画像

オムツ交換台が男子トイレにないなんて/『男コピーライター、育休をとる。』第5話・第6話を語る

僕(魚返洋平)の著書『男コピーライター、育休をとる。』がWOWOWでドラマ化され、7月9日から放送・配信がスタートした。
主人公・魚返「洋介」を瀬戸康史さん、妻の「愛子」を瀧内公美さんが演じている。
ノンフィクションエッセイである原作にドラマならではの脚色や創作が加わり、もうひとつの魚返家の話が誕生した。まるで平行世界に転生した自分たちを見るような不思議な感覚だ。

このnoteでは、「原作者 兼 視聴者」の視点で、ドラマの各話に沿って原作(実話)との比較を楽しみつつ、ちょっとした裏話なども話していきたい。ネタバレというほどのものはないけれど、一応、各話を観た後で読まれることを想定しています。

#5  ラーメン食べたい

第5話「ラーメン食べたい」では、第4話につづいて洋介の不甲斐なさが描かれる。

原作の【第2章 おっぱい、うんち、そして育休】がベースにありつつ、今回はドラマ版のオリジナル要素が多い回だ。余談だが「ラーメン食べたい」といえば矢野顕子さんの曲も連想する。

いまの僕は、毎日家族の夕飯をつくっていて、でもそれは2020年のコロナ禍で在宅勤務になったのをきっかけに、ようやく習慣として定着したものだ。

育休当時(2017年)の僕は、このエピソードでの洋介同様、キッチンであんまり戦力になれなかった。この第5話を見ると、「ああ、育休のとき、もっと料理で貢献できれば良かったなあ」という後悔が再び、ドドドドッと押し寄せてくる。離乳食の時期なんかはそれなりにやってはいたんだけれど、もっと初期の頃、妻と自分の料理をすべて担うべきだった。それができるように、もっと前から料理を習慣化しておくべきだった。

それでも、もし育休を取らなければ、いまこうして料理することもなかったかもしれないと思う。育休は、それ自体を終えたあとも、じわじわ効いてくる(生活に影響を及ぼす)側面が確実にあった。うちでいう料理なんてその一例にすぎない。

いずれにしても、ドラマに出てくる「アジフライ」をいきなりつくるのは酷だなと思う。僕なんていまも、揚げ物や、魚をおろすような献立は避けているくらいなのだ。申し訳ないけれど。
脚本を最初に読ませてもらったとき、妻であれ夫であれ乳児のケアをしながらつくるのが(よりによって手間のかかる)アジフライというのは、リアリティがないんじゃないか? と思ったので、その旨をプロデューサーに伝えた。
すると、「多数派ではないかもしれないけど、赤ちゃんのお世話をしながら定番メニューとしてアジフライをつくっていた家庭を、実際に知ってるんですよ」という主旨の返事が来た。

それを読んで僕は、自分の視野の狭さをちょっと反省したのだ。
いろんな赤ちゃんがいるのと同じで、育児のスタイルだって、役割分担だって、もちろん食べるものだって、家族ごとに色々だ。リアリティがないと僕が思ってしまう何かも、誰かにとっては充分にリアルかもしれない。子どもの乳児期を振り返るとき、アジフライを思い出す夫婦がいたっておかしくない。

子どもはそれぞれ。家ごとの正解があればそれでいい。「べき論」でくくることの乱暴さを(「『べき』の地雷原」という表現を使ってまで)本に書いておきながら僕自身、ついつい自分の体験だけにとらわれていた。ノンフィクションの原作者として、うっかり「リアリティ警察」みたいになってしまっていたなあと。それを言ったら主人公の「魚返」という変な苗字だって、リアリティがないってことになりかねない。

それにしても、ラーメン屋だ。
いや、たしかに当時ラーメン屋で食べたいと思うことはあった。「狭くてやや小汚い(失礼!)店がいい」と、原作の【第7章 育休の終わり、すべての始まり】でも書いている。

とはいえ洋介、本当に行くのかよ。いや行くのはいいとして、無断で行くのかよ。あと注文キャンセルすんのかよ。
原作者自身、ちょっと引いた部分でもあり、大きな事件が起こらないこのドラマのなかで、ちょっと劇的なくだりでもあるだろう。
瀬戸康史さんのインタビューによれば、瀬戸さんも「行くなよ」と思ったそうだが、「これはマジです。その場からいなくなりたくなるんですよ」と監督に説明されたらしい。笑ってしまった。

ただ、いまの僕はこうも思う。
無断で行くのは論外だけど、妻にひとこと断って、寝かしつけ当番を終えたあとで1杯だけ(近所の深夜営業のバーなどで)飲んでくる、みたいなことは、たまにあっても良かったかな、と。まあ当時、そんな発想すら浮かばないほど、いっぱいいっぱいだったんだろうけれど。

第6話サムネ

#6  乳母車で街へ出る

第6話「乳母車で街へ出る」は、洋介がオトちゃんを外に連れ出し、街の空気をたくさん吸える回。
原作の【第4章 乳母車で街へ出る】と【父ノート②  相似形たち】がベースになっている。

なんだか風や日差しを感じませんか? 木漏れ日とか。 こういうのも、当たり前だけど映像ならではですね。

洋介の町に比べると、僕の町はもっと小さくて、もっと古い商店たちが立ち並ぶ。でも風景や顔見知りの人々に対する洋介の愛着は、僕と近そうだ。
トイレのくだりでは、ラーメン屋のおじさん(演:赤星昇一郎さん)の台詞「かわいいな」が最高ですね。あんな素敵な「かわいいな」、もし言われたら一生モノマネしてしまうな。

子どもが1歳くらいのころ、ときどき父娘2人だけで行ったチェーンのファミレスでは、オムツ換え台が女子トイレにしかなくて困ったことを思い出す。
いや、正確に言うと「っざっけんなよ」と心のなかで悪態をついた。すぐそこにオムツ換え台があるのに使えないという不条理に対して。
段差をなくすバリアフリーも大事だけど、こういうジェンダー的に非対称なところも(「ファミリー」レストランでさえ)まだまだだなあと。

その一方で、男女兼用の狭いトイレしかない小さな個人商店でも、店主がDIYしたと思われる手作りの開閉式オムツ換え台(とも呼べないような木の板だが)をつけている店があって、それに助けられたことをずっと忘れない。劇中のラーメン屋もそういう店かもしれない。

そのあとにつづく、愛子のスマホに洋介から写真が届くくだり。
「目に映る世界のなかに、オトによく似たものがたくさん見つかるように」なったと語る洋介。原作の【父ノート② 相似形たち】に書いたことの一部が視覚化された場面だ。

『イル・ポスティーノ』という映画をご存じでしょうか。
(中略)
海、空、雨、雲、などなど、つまりはこの世界全体が何かの比喩になっているんでしょうか?とマリオが詩人にたずねるくだりはとても印象的だ。

これに似たことを、コケコと過ごしながら感じていた。
(中略)
景色の多くが比喩になるのだ。
目に映るあれこれに、わが子をたとえることができる。逆にあれこれをわが子にたとえることだってできる。

(『男コピーライター、育休をとる。』父ノート②より抜粋)

自分で言うのもあれだけど、このことを文章に残せて良かったなという思いがある。だからこうして映像化してもらえたことに感謝している。ずっとあとになって見返したら、ちょっと泣いてしまうかもしれないのがここだ。
そう、自分にとって、赤ちゃんを見続けるというのは、こういうことでもあった。あのころ景色はこんな風に映っていたなあ、と。

娘が4歳になったいまも、「これって、あのころのコケコに似てない?」みたいな新しい「相似形」を見つけて妻と話すことがある。つい最近では、娘とプレイする「スーパーマリオ オデッセイ」に出てきた「アッチーニャ神」というキャラクターが0歳のころのコケコに似ていて、家族3人で笑った。

アジフライも、DVDボックスも

ところで細かい話だが、最後に出てくる誕生日プレゼントのDVDボックス。洋介と愛子の会話(アドリブとの説あり)を聞く限り、なにか「アベンジャーズ的な作品なのかな?」と思わせるが、それはいいとして。

誕生日プレゼント自体がドラマ版オリジナルの要素なのだが、僕自身はいまやDVDを買ったり観たりすることもめっきりなくなってしまった。映画もドラマも、家ならサブスクで観るほうがすっかり日常になったからだ。NetflixとかAmazon Primeとか。今回のこれを機にWOWOWにも加入しましたよ、本当に。

そういう意味でDVDボックスとは古風だなと思うけれど、洋介と愛子にとって、ささやかだけれど愛すべき習慣なんだろう。音楽をもっぱらレコードで買う人がいるのと同じ。そういう、二人なりのリアリティ。それは大きく言えば、さっき書いたアジフライにも通じていて、現実世界の魚返(僕)から見てもどこか愛しい。

(つづく)
前の回を読む← →次の回を読む

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?