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育児は、“全編ワンカット”だ/『男コピーライター、育休をとる。』第3話・第4話を語る

僕(魚返洋平)の著書『男コピーライター、育休をとる。』がWOWOWでドラマ化され、7月9日から放送・配信がスタートした。
主人公・魚返「洋介」を瀬戸康史さん、妻の「愛子」を瀧内公美さんが演じている。
ノンフィクションエッセイである原作にドラマならではの脚色や創作が加わり、もうひとつの魚返家の話が誕生した。まるで平行世界に転生した自分たちを見るような不思議な感覚だ。

このnoteでは、「原作者 兼 視聴者」の視点で、ドラマの各話に沿って原作(実話)との比較を楽しみつつ、ちょっとした裏話なども話していきたい。ネタバレというほどのものはないけれど、一応、各話を観た後で読まれることを想定しています。

#3  出産は別れでもあった

今回は、第2回放送ぶん。つまり第3話と第4話について書きたい。

第3話「出産は別れでもあった」で、妻・愛子はついに出産。洋介の育休がスタートする。原作では主に【第1章 育休を開業しよう】にあたるエピソードだ。

わが家は、というか僕の妻は、「計画無痛分娩」を選択した。僕自身、肉体的な痛みにものすごく弱い人間ということもあって(自分が出産するわけじゃないが)、無痛分娩に大賛成だった。是非そうしな!と。その分娩前日からの流れを原作には書いたが、この要素は話が長くなることもあってドラマではカット。
でも、この第3話に出てくるいろんな言葉―「長生きしなきゃ」や「最初の家族旅行」や「出産は別れ」や「子育ては実験」など―は、実際に思ったり言われたりしたことだ。

出産の瞬間をドラマでどうやって描くのかなと思っていたら、主人公のまるで「プレゼン」のように表現され、その手があったかと思わされた。
このシーンで語られる、「胎児は地球上の生物の進化過程をなぞる」という話は原作でも紹介しているが、理論物理学者・佐治晴夫博士の文章に基づくものです。

第3話で最もドラマっぽい演出に見えるシーンはたぶん、子どもの名前を考える洋介が「いくつもの案を壁に貼って検討する」くだりだろう。まるで昔ながらの広告会社の企画会議のような演出。
でも、これは実際に僕がやったことなのだ。
ドラマと違うのは、病院の壁ではなく自宅の壁(や床)を使ったことと、妻と一緒に案を絞り込んだこと。そのいわばネーミングのプロセスは、原作で【父ノート① 名前をつけてやる】に詳しく書いたのでぜひ読んでみてください。

僕は自分の文章で娘のことを「コケコ」という仮名(ニックネーム)で記しているが、劇中の子は「音」(おと)と名付けられた。
この命名のシーンをよく見ると、「コケコ」が案のひとつ「苔子」としてチラッと写っているのが分かる。現実世界と平行世界が一瞬重なるような、演出的遊び心だと思う。

ドラマとちがって、僕の妻とコケコは退院直後の1カ月を妻の実家で過ごし、そのあと僕の家にやって来た(僕の育休もそのタイミングでスタートした)のだが、いまでも僕が思うのは、最初の1カ月間も妻と子と一緒に居ればよかったなということで、ちょっと悔やんでいるのだ。ドラマを観てその思いがますます強まってしまった。

そんなこんなで洋介の育休がはじまった。
第3話の終盤、赤ちゃんのケアをする洋介が、朝の光のなかでうつらうつらしている。ああ、と思った。こういう朝だった、こういう青い光だった。そんな懐かしさと眩しさ。映像が再現してくれて良かった。

第3話サムネ

育児ドラマ史に残る!
#4 おっぱい、うんち、育休と私

つづく第4話は、「おっぱい、うんち、育休と私」。
赤ちゃんと四六時中過ごす生活が、事前に想像していたものといかに違うか。そのギャップが中心に描かれる。

このエピソードは原作でいうと【第2章 おっぱい、ウンチ、そして育休】だ。最初にウェブで公開されたとき、この文章にはけっこう反響があった。のちに本を編んでくれる編集者(大和書房の高橋さん)の目に留まったのもこれだったという。僕にとっても特に思い出深い話なのだ。

勝手に予想していた育休生活のイメージ。それに対して、リアルな育休生活のありさま。2つを比べて、「育休は休暇ではない」ことを痛感しながら、洋介も疲弊してゆく。
この第4話の見どころは、2つある。

ひとつは、「エア乳首」なる架空商品のテレビCM。
これ、原作では、粉ミルク担当の僕が母乳をうらやむ文脈で、次のように書いたにすぎない。

「わが家の母乳」がクラウド上にあって、「乳首」端末を持つ家族なら誰でもコネクトできるシステムだったらいいのに!などとSF的な発想すら浮かんでしまうほどだ。
(『男コピーライター、育休をとる。』第2章より抜粋)

たったこれだけ。言ってしまえば余談である。
それがドラマでは、「CM」のかたちで表現されている。しかもこれを、「疲れて寝落ちしてしまった洋介が見ている夢」として処理しているのがまたうまい。瀬戸さん演じる洋介の、かっこよくてばかばかしいダンス!
第2話につづいて、映像化の醍醐味ってこういうところだよなあとしみじみと思う。

そしてもうひとつの見どころは、さらにすごい。
事前にイメージした育休生活に対して、実際の育休がいかにノンストップで、切れ間がないか。点ではなく線であること。
これを、脚本家の細川さんは、テレビ番組のADを登場させることで撮影現場(それも、いわゆる“巻き”気味の)のように表現した。そしてそれを監督の山口さんは、なんとワンカットで映像化してみせた。そう、ワンカットで。

山口監督の2020年の映画『ドロステのはてで僕ら』は、いわば時間(というか時差)と格闘するSFコメディで、ほぼ全編ワンカット(少なくともそう見える)で演出されていた。あれは観た人みんな驚いたと思う。
その山口マジック(と勝手に呼ばせてもらう)が、再びここでも炸裂しているのだった。時間にしておよそ2分半だが、これまた観た人は忘れない場面だろう。

ところで、ワンオペ育児のやばさを描いた『タリーと私の秘密の時間』(2018年 ジェイソン・ライトマン監督)という映画がある。夜泣きや夜間授乳、オムツ換えがエンドレスにつづく乳児ケアの過酷さを、怒涛の編集で見せていくシークエンスが前半にあって、そのあまりにもリアルかつ鬼気迫る演出に、「こりゃ育児映画史に残る場面だな」と僕は思ったものだ。

それとはまた全然ちがう方向性ながら、今回のこのワンカットも、ひょっとして育児ドラマ史(そんなものがあるか知らないが)に残る表現なんじゃないかと思う。
なんならこの2分半の場面だけでも、学校の家庭科の教材になり得るのでは? あるいは企業などの育休セミナーで見てもらえるといいんじゃないか。
大袈裟じゃなく、お世辞でもなく、本当に。各方面の関係者の方、どうですか?

この場面で登場する、「タイムテーブルの図」は、僕がエッセイ連載時に手描きしたものだ。だが書籍化の際は、諸事情により円グラフに変換されてしまった。「あの手描きの図が良かったのに」という意見をいくつもいただいていたので、今回こういうかたちで日の目を見られたのは嬉しくもある。

洋介の「よ」は、弱音の「よ」

さて、第4話の終盤で、洋介は早くも「限界」宣言をする。
ここの印象的な台詞はドラマ版オリジナルのもので、洋介のちょっと情けないキャラクターを象徴していると思う。

脚本を読んだとき、うわ、あっさり弱音を吐いちゃうんだなと僕は思った。
この「限界」宣言について瀬戸康史さんも「自分なら絶対に言わないと思うんですよ」とインタビューで話していて、ですよねえ、と心の中で相槌を打った。だけど、でも。

こんなふうに弱音を吐ける素直さって、これはこれであり
というか。むしろマッチョじゃなくていいなと思えたりする僕もいる。そう、洋介は素直なのだ。育児について、どちらかというと強がってしまいがち・イライラをため込んでしまいがちな僕は、洋介のそういうところがちょっと好きだ。

(つづく)
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