そこに、育休は2つあった/『男コピーライター、育休をとる。』第10話(保活回)を語る
僕(魚返洋平)の著書『男コピーライター、育休をとる。』がWOWOWでドラマ化され、7月9日から放送・配信がスタートした。
主人公・魚返「洋介」を瀬戸康史さん、妻の「愛子」を瀧内公美さんが演じている。
ノンフィクションエッセイである原作にドラマならではの脚色や創作が加わり、もうひとつの魚返家の話が誕生した。まるで平行世界に転生した自分たちを見るような不思議な感覚だ。
このnoteでは、「原作者 兼 視聴者」の視点で、ドラマの各話に沿って原作(実話)との比較を楽しみつつ、ちょっとした裏話なども話していきたい。ネタバレというほどのものはないけれど、一応、各話を観た後で読まれることを想定しています。
(本記事のサムネイル画像は第9話の場面写真を使用しています)
#10 魚返家の保活 後編
第10話は、第9話からつづく「後編」だ。
ドラマは保活のなりゆきを追いながら、洋介と愛子の心のすれ違いを描いていく。ある意味では、全話のなかで最もドラマチックなエピソードと言えるかもしれない。
この展開はドラマ版オリジナルなのだが、僕は脚本を読んだ時点で「おおっ!」と思った。真面目な話、このドラマなりの問題提起になってもいて。
育休を終えたら、娘を保育園に入れて仕事をがんばろうとする洋介。
愛子もそれはまったく同じなのに、そのことを洋介は見落としているのである。
洋介の言動を通して、無意識のジェンダーバイアスについて描かれている、と言ってもいい。
劇中の洋介のセリフを借りるなら、
「俺だけ仕事復帰するのが当たり前みたいに思ってた。別に先に愛ちゃんが働いてもいいのに」
(WOWOWオリジナルドラマ『男コピーライター、育休をとる。』 第10話「魚返家の保活 後編」より)
脚本家・細川徹さんの書いたこのシンプルな言葉に、いろいろ集約されていると思いませんか。
で、僕が自分の話をしないのもフェアじゃないので、ここでかえりみておきたいと思う。
・僕は1月に復職し、妻は4月に復職するプランだった。
つまり、妻のほうが育休を長く設定していた(ドラマと異なる)。
・保育園は、空き枠が最も出やすい0歳の4月入園を希望していた(ドラマと同様)。
復職のタイミングについては収入や仕事のことを考え、妻と双方納得のうえで決めたことではあるのだが(それは良かったが)、自分のほうが一足先に職場に戻るという発想にジェンダーバイアスが一切なかったと断言する自信は、正直ない。
そしていまから思えば僕も育休を4月初旬まで取得すればよかった。それでマイナスになることなんて、実際たいしてなかったのだから。
認可保育園の不承諾通知が来たのは2月で、ドラマとちがって僕はすでに復職していた。このままどの園にも入れないんじゃないかという不安が、遅ればせながらどんどん募ってきた。その場合どうしよう?
① 妻が育休をあと数カ月延長する(僕は迂闊にも育休を終えてしまったため)。
② ただし子どもが1歳になってもまだ内定が得られない場合、妻が復職すれば、僕が育休を再取得できる(最長で半年間)という特殊ルールを、自社の就業規則のなかに発見した(あまり知られていないようだ)。
まず①、そのあと②へ。つまり最後の手段として、育休をバトンタッチする手があるかもね、などと二人ですこし話したものの、結論は先送りにした。そのときはそのときで考えよう。「まあ結局はなんとかなるんじゃないか」という希望的観測。
こういう楽観がダメとは思わないのだけれど、その程度に場当たり的だったなあ、といま振り返っている。
保活の経緯と結果については、どうか原作を読んでみてください。
そして、さて。
このドラマはここに至って、いちばん大事な、いちばん当たり前のことを明らかにしてくる。
『男コピーライター、育休をとる。』という題名のこの作品。
コピーライターの男性が、育休を取った話……ではなかった。
二人が、二人で、育休を取った話だった。
いわば「魚返夫妻、育休をとる。」だったのだ。
これまで描かれてきたのは、だからこそ分かち合えたあれこれではなかったか。
僕の育休体験がこんなに取り上げてもらえるのは、本やドラマになるのは、僕が男だからだ。妻が育休を取ること、育児や保活に奮闘することには、誰も注目しない。その非対称性。
もちろんだからといって、僕がこうして書いたり言ったりすることに意味がないとは言わない。
いまここに天秤があり、そもそも左右が釣り合っていない。左の皿だけ、ガクッと下がっている。
これを釣り合わせるためには、右の皿に「わざわざウェイトを乗せる」ことが必要であるし、どんなウェイトが乗るかは、どうしたって注目される。
左の皿がとっくに下がっているのに、いまさら右の皿を見るな、ウェイトなんて乗せるな、という話にはならないだろう。
いつか、天秤の左右が釣り合う。その途中の、いまは過渡期だから、『男コピーライター、育休をとる。』もこうして存在しているのだ、ということを忘れずにいたい。
そしてドラマは、エンタテイメントだ。こうやって完成したものを観ながら、ああそうか、僕は育休を「ポップに語ることをしたかった」んだなと、あらためて気づかされもした。
第10話のラストで、抱き合って喜ぶ二人。
こんな風にストレートに抱き合ったりしなかった僕は、すこしだけ羨ましかった。それは三十代が終わろうとしていたころで、青い春なんてとっくに過去のものになっていたけれど、「それに替わる何か」がそこにあったような気がする。いや、言い過ぎかな。
今日も、へとへとに疲れながら泥臭く毎日を過ごす自分(たち)だが、こうしてドラマ化されたものは、それだけでキラキラと眩しく感じるのだった。
さあ、残るはあと2話です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?