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平凡な僕たちの子育て/『男コピーライター、育休をとる。』最終話を語る

僕(魚返洋平)の著書『男コピーライター、育休をとる。』がWOWOWでドラマ化され、7月9日から放送・配信がスタートした。
主人公・魚返「洋介」を瀬戸康史さん、妻の「愛子」を瀧内公美さんが演じている。
ノンフィクションエッセイである原作にドラマならではの脚色や創作が加わり、もうひとつの魚返家の話が誕生した。まるで平行世界に転生した自分たちを見るような不思議な感覚だ。

このnoteでは、「原作者 兼 視聴者」の視点で、ドラマの各話に沿って原作(実話)との比較を楽しみつつ、ちょっとした裏話なども話していきたい。ネタバレというほどのものはないけれど、一応、各話を観た後で読まれることを想定しています。

最終話  育児休暇

ついにラスト・エピソードとなった、ドラマ『男コピーライター、育休をとる。』。
8月13日の放送最終回では、第11話と最終話(第12話)がつづけてオンエアされた。前回のコラムでは第11話について話したので、今回は最終話について書きたい。

時間にして15分足らずだが、原作でいうと、【第9章 育休から戻ってみたら(前篇)】【第10章 育休から戻ってみたら(後篇)】、さらに【第7章 育休の終わり、すべての始まり】【第13章 デイアンドハーフの育児休暇】と、それにつづく【おわりに】まで、多くのエッセンスが凝縮されている。

原作を読んでドラマの企画を立ち上げたWOWOWの井口正俊プロデューサーは、はじめにこの最終話のイメージを思い浮かべたという。
第13章の、家族旅行で行った海の光景。そして、

いつか人生を終えるとき、走馬灯という名のダイジェストムービーが流れるなら、そこに登場する瞬間のいくつかは、この半年からノミネートされるのかもしれない。

( 大和書房刊『男コピーライター、育休をとる。』第7章より抜粋)

という文章。この場面やこの言葉にたどり着くドラマにしたいと考えたそうだ。

いま思うとちょっと大袈裟な文章だが、僕にとってはもう、このドラマ自体がそういうムービーのティザー(予告篇)に見えたりする。けど走馬灯のくせに、自分の姿が瀬戸康史さんに差し換わっているのは厚かましいですね。すみません。

劇中、洋介が後輩の今泉真理子に仕事を手渡す展開は、脚本を読んだとき原作者としてとても感動した。洋介が、ちゃんと変わった!

この最終話で洋介が至った「平凡」の価値は、僕自身、育休当時(2017〜2018年)よりも、いまのほうが強く感じる。子育てを4年やって、その途中にコロナ禍があって、というこんな現在位置だからこそだ。

子ども嫌いだった洋介が、ベビーカーを押して朝の町を歩く。
その目にうつる、平凡な親子たちの風景……ん?…あれっ? 一瞬、僕と娘が通り過ぎたような気が…いや、まさか(パラレルワードの自分と出会ったら、互いに「対消滅」しちゃうはず)!  たぶん、目の錯覚だと思う。

書影

きょうもそこに寝顔が

そしてたどり着くのが、海のシーンだ。
ドラマの第3話(原作では第1章)で出産に立ち会った主人公が、病院に宿泊する夜を「最初の家族旅行」と呼んでいた。この最終話はそれに呼応している。
家族旅行からはじまり、家族旅行に終わる話(あるいは「休業」から「休暇」までの話)でもあったんですね。

現実の魚返家が旅行へ行ったのは、娘のコケコが1歳になったあとで、場所は静岡の伊東だった。海を見せるために海に来たのに、コケコは寝ていた。それで、起こさなかったのだ。
そのときの寝顔の写真があるのだが、今回ドラマを見返してちょっとびっくりした。オトちゃんの寝顔が、コケコのそれによく似ているのである。この最終話まで、2人が似ていると思ったことなどなかったのに。

いや、でもそれはそういうものなのか? 子どもは、眠りのなかにいるとき、みんなほとんど同じ顔になるのではないか。

脚本の段階で、洋介のナレーションにある「自分たちなりの家族のあり方に、辿り着いた気がしました」という表現は、さすがに大袈裟過ぎやしないか?と思った。「自分たちなりの」「あり方」と偉そうに言うほど特殊なことが魚返家には何もないのに。もっといろんな事情をもつ家族や、いろんな形態の家族だって世にはたくさんあるのに。

それを制作チームに伝えたのだが、チームが議論して出した結論は「あえてこのままでいきましょう」ということだった。ドラマをここまで観てきた人にとっては、これぐらいの表現のほうが共感しやすいのではないか、と。観る人それぞれの「自分たちなり」に当てはめてくれればいいという。

たとえすべてが「平凡」に回収されるとしても、子どもの寝顔なんてみんな似通っていても、特別なことがあってもなくても、家族ごとにストーリーはある。迷いも、いちおうの答えもある。だからそれを「あり方」と呼ぶのは、別におかしなことでもないのかな。完成したドラマを観てそう思った。

最後の最後、洋介がひとり残された会議室の場面。
第2話の千木良部長の言葉が、こんなふうにチギラァーゥ(check it out)されるとは! ドラマ版のここのアイデア(と洋介の声)に、さすがに僕も胸を打たれた。

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子どもが生まれてからの1年、いや、半年がこうして終わった。
でも育児休業はあくまでも「入門篇」、そのあとの日常こそが「本篇」であることを、いまの僕は知っている。育児はきょうも、あしたも、つづいていく。うまくいったり、いかなかったりしながら。

「育休なんて、とってなくて」も見事に育児をやっている人たちがいる、と洋介も語っていたように、育休はひとつの手段に過ぎない。
でも、というかだからこそ、それは望めば誰もが簡単にアクセスできるものであってほしい
「みんなが育休をとるべきだ」ではなくて、「誰でもとれる環境に、組織(や社会)がなっているべきだ」と思う。

いわゆる「#育休義務化」(誤解されやすいキーワードだが、従業員が取得する義務ではなく、従業員の権利を認めるべしという、組織側の義務です)が目指すものと、それは同じだ。

言葉と記憶を共にする

今回、ドラマが形になったり放送されたりするのを見られて、楽しい日々だった。
全俳優・全スタッフのみなさんはもちろん、制作チームとの間に立って僕の意見に誠実に耳を傾けてくれたWOWOWのプロデューサー・井口正俊さん、放送局と原作者の間でエージェントのように動いてくれた編集者・高橋千春さん(大和書房)に、ここで感謝を。

そしてドラマを観てくださった方、コラムを読んでくださった方、最後までありがとうございました。
「一緒に過ごすということは、『言葉と記憶を共にする』こと」、と第7話のコラムに書いた。多くの人と直接会うことはなくても、それでも「言葉と記憶」を通して、みんなでドラマを共有できた気がしています。
2021年の夏を、僕は一生忘れない。

そうそう、原作を未読の方は、そちらもぜひ読んでみてください。

2021年 8月    コピーライター  魚返 洋平

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