このまま僕らは大人になれないまましがみついて忘れないんだ

 銀杏BOYZの漂流教室を久しぶりに聴いた。このフレーズを大人になって改めて考えている。

 青春パンクはまさに僕の青春真っただ中。中高生の頃、メロコアブームは少し前に去って、キングギドラやキックザカンクルー、リップスライムに代表されるヒップホップと、オレンジレンジとかのハイブリットロックが流行りだしていた。

 ロックはというと、エルレガーデンやバンプオブチキン、モンパチをみんな聴いていた気がする。僕は友達の影響で、ハイスタとかハワイアン6とかも聴いていた。パンクが好きで、なんか破天荒なものに憧れる年齢でもあった。クラッシュやピストルズも。音楽性が好きだったのもあるけど、日常生活では良い子だったので、逆に自分に出来ないものを求めていたのかもしれない。オフスプ、サム。はじける音楽が登下校の短い時間、毎日に楽しみをくれた

 そんな僕に青春パンクは真っすぐ刺さった。ガガガSP、ハングリーデイズ、スタパン。特にゴイステ・銀杏はどストレートに僕に刺さった。峯田さんの生き様は直球でぶれてなくて。ニュースステーションで机に飛び乗った時は鳥肌が立った。

 ゴイステの2枚のアルバム、シングル。銀杏の2枚のアルバム。世間の汚い部分をそのまんま汚く歌うことは実はなかなか難しい。誰かに遠慮して、美化する。抽象的な歌は世の中にたくさんあるから。峯田さんのそれは、全く逆だった。汚いもんは汚い。分かってることを分かってるままに伝える。僕には痛いほどに伝わってきた。

 好きなアーティストはたくさんいるけど、痛みを感じさせる人はそんなにいない。峯田さんの悩みや苦労、感じたことは僕らと同じ人間であること、それを唄という形で唄うこと。謳い上げること。確かに痛みとして伝わってきた。アーティスト、芸能人、憧れの人ってどこか雲の上の存在で、僕らとは違った世界を生きてるんだなって思ってしまいがち。でも違うよ。等身大の人間なんだって。同じようにくだらないことに一喜一憂して、悩んで、笑って、泣く。そのことに気付かせてくれたのが銀杏とゴイステ。彼らが結成されて解散して、また結成して解散したことも当時は悲しかったけど、今では分かる気がする。

 人間は変わるから。やりたいこともやりたくないことも変わるんだ。僕らが理想とする世界はあくまで理想に過ぎない。現実はもっと汚くて、でも綺麗なもの。正反対ではなく、表裏一体の感情。持ってるんだよ誰でも。それを隠さずにいることは僕らには難しい。でも、峯田さんの世界では隠さなくでもいいんだって教えてもらった。

 「漂流教室」は誰かが死んだ唄。僕らは大人になれないまま、完全には大人になれないままに、何かにしがみついて生きていくしかない。幾ら歳を取っても、変わらない所は変わらない。昨日また失敗したよ。朝起きたら後悔した。またやっちまった。馬鹿だなあ。20代の頃から何度やってんのって。でも多分また同じことして後悔して、忘れないで生きていく。

 進歩がないって言われたその通り。甘んじて受けます。でもさ、全部改善されて、完璧な人間になったとしましょう。それはもう僕ではないね。見栄っ張りで、外面や評価を気にして、自分が他の人よりも出来るやつだって気取って、優柔不断で、そんな自分が嫌いで、でも好きであろうとして頑張る、これが僕の姿だ。譲れないし譲らない。

 31歳になった。家賃6万円の築45年のまあまあボロいアパートに住んで、スニーカーと服を集めて、本読んで、映画観て、ライブに行って、教師やって生きている。それがどうしたんだよ。大人になんかなってないよ。僕はしがみ付いて忘れない。だって、14歳の頃に初めて聴いた峯田さんの歌詞を忘れないんだから。

 自分だけじゃない。「今まで出会えた全ての人々に もう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう」。出会えた人たちみんなを大切にしたい。そうやって僕は創られている。

 汚さを美しさに変えたゴイステと銀杏。汚いものを美しいと思えた僕は幸せなんだと思います。


 

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