死にたい気持ちはどこからやってくる
僕は今、生活の転換期に立っている。
その影響だろうか。感情が揺らいで仕方がない。
人は、何もない状態から生を受け、色んなものを手に入れていく。
手に入れたものに囲まれて、安心して暮らしたり、いつ失ってしまうのかと頭を巡らせる。
言いたかないが、私は負け組だと思う。
分類として、人の底の底の屑が私だ。
だって、何も生産していない。
人の優しさを飲み込んでばかり。
不安定なまま発育してしまったがため、人間に保護される化け物になってしまったようだ。
中身のないことばかりペンを走らせるのは、実際に中身のない生活を送っているからだ。
幸せになりたいとも思わない。
同じことの繰り返し。
失ったものではなくて、今あるものを数えようとか言う。
失うばかりの私にとって、今あるものはこれから失うものでしかない。
身から出た錆って言葉がある。
僕のこの暮らしは、僕が生み出したものだ。
療養ってなんだろうな。
息も絶え絶え、命を振り絞って、僅かながらの資源を得て、それを失うの繰り返しだ。
人間なんて、誰かの役に立ちたいだけだ。
人間なんて、話を聞いてほしいだけだ。
人間の善意は、100%の善意だ。
都合のいい記憶だけを反芻していたい。
浮かんでいたい。包まれていたい。
人に迷惑を掛けてまで何かをしたくない。
人に何か届けられるなら、恥をかいたって構わない。
これは僕が抱いている純粋な想いだ。
でも、ここに私はいない。
人生にゴールラインはないのかもしれない。
いつでもここが始まりで、フラットなのかもしれない。
主体性のない私は、ここからどこに向かえばいいのだろう。
自分が楽しめることを探索して、あと、お金を稼いで、どこかで暮らそう。
どこでもいいんだ。ただ、だれの唾もついていない場所。そういう場所がいい。
新しく、語り部ができる場所でもつくってみようか。
話したいことが多すぎる。
頭の中が整理できない障害なんだ。きっと。
誰かのためになることがしたいって、主体性ないのかな。
あんまり、自分の要求がわからないんだよな。
でも、今の自分では、他人を祝福する権利すらないと、そう思ってしまうから、健全に、かつ、社会の歯車として、多少の気に食わないこともよしとできるような器量を獲得したい。
他人が着々と幸せに向かっていく。
心臓がぎゅっとなる。
置いていかれるような気分。
妬んではいないの。
でも、私にも、底から天辺まで、全貌が見えないような希望が欲しいだけなんだ。
これって、嫉妬?
いや、ただの出来損ないの思考だ。
僕には、真実の誓いがありましたか?
あったよ。
それはどんな内容か?
恨みと、素敵な笑顔と、無邪気さ、聡明さ、私の目を見てくれたこと、
すべての人間から縫い付けられた希望と絶望で、明日も目覚めよう。
そう、このゴミみたいな暮らしもお前(僕)のせいだよ。
そして、でもでもやっぱり温かな気持ちも
これから、ここから、また、新しく、僕は誰かに愛着を抱いて、だが、その中には、いままで優しくしてくれたすべての人の魂が情念が願いが宿っているのだから、これは祝福のエールであり、幸せを願われてしまった呪いにも似た想いだ。
生きていることは、つらい。
消えてしまいたい。
でも、ありがとう。
人間でいることは難しい。
だって、人間と一緒に過ごしていないと人間としてカウントされないから。
誰かを傷つけたくない。威張ったり、怒ったりもしたくない。
楽しいことをたくさんしよう。
私から私へ、無理をしないで、やるべきは、肉体や生活面のメンテナンス。
がんばれ。私は僕を見ている。おやすみ。
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