福島県双葉郡浪江町を訪れた日のこと(3)

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松川浦は福島県の北部、相馬市にある潟湖だ。蟹の爪のように太平洋に突き出た砂州がぐるりと囲み、海から切り離された形になっている。
どこまでも荒野が続く沿岸部をずっと北上していくと、突然町が現れたので驚いた。港で釣りをしているおじさんに話を聞いてみると、砂州が津波の勢いをやわらげたため、他の地域に比べてまだ被害が小さく済んだのだと教えてもらった。それでもここも一時は沈んだんだと、おじさんはわたしたちの後ろに立っている建物を指差した。おじさんは、あのホテルの2階まで沈んだんだから、と言う。
その場でiPhoneで「松川浦 津波」と検索すると、あのときの画像や動画がいくらでも出てきた。Google画像検索の画面を見ていると、いくつかの写真に特徴的な橋が写っていることに気がつく。ケーブルをつなぐ塔が2本突き出た大きな橋だ。顔をあげると、目の前にあるのがその橋だった。

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瓦礫が浮かぶ黒い津波の向こうに橋が見える画像を見て、それがまさに自分がいま立っているあたりの景色なのだと知った。
津波がこの港を襲ったのもこれぐらいの時間だったはずだ。海に目をやると、港には折りたたみ椅子に腰掛けた釣り人が並んでいる。停留された漁船は静かに揺れて、穏やかな午後だった。
わたしたちは近くの定食屋で遅い昼食をとることにした。海鮮料理が並ぶメニューを見てオーダーを取りに来た店員の方に漁について尋ねてみると、「少しずつ再開しているけれど、まだまだ」という答えだった。わたしはイカの刺身の定食を食べた。どこで獲れたイカなのかは聞きそびれてしまった。

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わたしたちはさらに北上した。松川浦を離れるとまた人気がなくなる。ときおり工事車両とすれ違いながら、わたしたちは仙台へと向かった。
震災遺構とは、震災の記憶を風化させないために、震災で破壊された建物などを取り壊さないで保存したものだそうだ。わたしたちが訪れた仙台市立荒浜小学校はそうした震災遺構のひとつだ。教員の適切な避難指示のおかげで、当時校内にいた教職員や生徒、避難してきた近隣住民あわせて300人以上が助かった場所だという。津波の被害で閉校になったのちに震災遺構となり、大きくダメージを受けた教室などを一般公開している。

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津波によって1階の教室は瓦礫で埋まり、押し流された車が何台も折り重なる状態だったそうだ。瓦礫はすでに撤去されているけれど、壁や床、天井にまで当時の傷が残っている。表面が剥がれた黒板には「平常心」「光」「希望」「今でしょ」などと白いチョークで書かれていた。
2階に上がると、階段の目の前のバルコニーが破壊されているのが目に入った。鉄製の丈夫そうな柵がひねり潰され、ぶ厚いコンクリートの壁が割れて倒れている。

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廊下にはプレートで津波が到達した位置が示してあった。2階の床よりも高い位置まで津波は到達したのだ。
バルコニーを破壊して押し寄せたであろう津波の跡が、うっすらと壁に残っていた。

宮城県名取市・仙台市若林区荒浜(20180617)21

さらに上の階には関係者へのインタビューをまとめた映像などが展示されていた。そのまま屋上へと出ることもできる。
屋上から見える景色は前日から見続けた景色と変わらない。雑草で覆われた荒地、土が盛られるままに剥き出しの台地、鮮やかな緑色のカバーに覆われた除染土砂、または黒いフレコンバッグ、それと孤独に立ち並ぶ墓石。そこからもそういったものが見えた。
しばらく屋上からの景色を眺めていたが、そろそろ時間だということで、わたしたちはここで旅を終えて帰ることにした。
東北に馴染みのない同行者と「せっかくだから牛タンを食べて帰りたい」という話になり、帰る前に市街地に立ち寄った。
荒浜小学校から車で20分も走ると、突然周囲が賑やかになる。仙台の街だ。
都合のいい駐車場を探してしばらく街をまわる。大きなビルが立ち並び、人が多い。賑やかな都市の空気を感じて、突然どっと疲れが出た。2日間ずっと信じられないような光景を目にし続けたが、これでやっと自分の知っている世界に戻ってこれたような気がして、ずいぶんほっとしたのだった。

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ネットで評判のいい店で食べた牛タン定食は、タンが肉厚で評判通りにおいしかった。わたしと同じくクタクタになった同行者と、疲れたね、おいしいね、ねぎしみたいにとろろはつかないんだね、などとたわいもない話をしながら食べた。タンを箸で1枚とるごとに、自分にとってのふつうが回復していくようだった。
わたしたちは食事を終えると福島まで戻り、レンタカーを返して東北新幹線で東京に帰った。見慣れた上野駅のホームに降り立つころには、もう完全にいつもの現実に戻っていた。そうしてわたしは自分の日常に帰った。
だけど、慌ただしく日常生活を送るいまになっても、ふとした拍子にあの光景を思い出すことがある。誰かにとっての日常の場所が、非日常の場所になってしまったあの光景を。
わたしのいまの日常から数百キロも車で走ればそこへたどり着く。あの場所はこの場所と地続きだから。


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