生きていてよかったと感じる時の話

私は歴史が好きだ。と言うと「どこの時代が好き?」「誰が好き?」と聞かれる。
聞かれれば答えるのだが、私にとってはそういうことではない。時代や誰かに強く興味を持っているわけではない。
ちなみに、幕末が好きで土方歳三や大久保利通が好きだと答えることが多い。

例えば、幕末が好きで詳しく知ろうと思うと、少なくとも戦国時代まで遡らなければ、幕末の姿は正しく捉えられない。幕末という時代は突然起こったのではなく、日本や世界の歴史の結果なのだから。
私は幕末から明治期にかけての大きな価値観の変化や、その時代に生きた人の人生にも興味はある。だが、私が好きなのは「何故それが起こったか(結果)」と「それがどう今に繋がるのか(原因)」だ。決して歴史は特定の時期だけ切り取れるものではない。

宇宙が誕生して、地球が生まれ生物が生まれ進化し、人が生まれた。人は群れを作り二足歩行を始め、言葉を獲得した。知能を発達させ、技術や文化や思想を発展させた。
地球という小さな村で様々な文化を作り、殺し合い生かし合い、人間は絶滅することなく今に至る。その壮大な物語が好きなのだ。長い連載として有名なこち亀は40年で幕を下ろしたが、歴史という物語は138億年続いても毎日連載中だ。そもそも比べるものでもないが。

私は、このとてつもなく壮大な物語に参加できている事実に、言いようのない喜びを感じる。
生きていてよかった、この世に生まれてよかった、と心の底から思う。過去の結果としての今、未来の原因としての今を生きていることに、感動する。そして、今が過去になり結果になり歴史になる。
書いていて思ったが非常にINTJ的な発想だ。S型の人はこの手の歓びは感じないかもしれない。

もちろん私の人生など取るに足らないものだ。
宇宙物語どころか、私が働いている会社の物語を作ったとしても存在すら出ないだろう。だが、間違いなく私は会社に在籍し存在する。社長がムカついた社員物語なら出演できるかもしれない。
今という時代のどこにどう焦点を当てても、私が登場人物になることはない。だが、間違いなく私は138億年続く壮大な物語の一員だ。それが嬉しい。

誰しも漫画やアニメの世界に入ってみたいと思ったことがあるだろう。その物語の登場人物になって、みんなと冒険してみたい。物語の世界の中で生きてみたい。
私は自分が一番好きな物語の登場人物になれているのだ。そう言えば、伝わるだろうか。私は銀河英雄伝説の登場人物にはなれないし、オーベルシュタインと話をすることもできない。だが、宇宙物語には登場できた。

どの時代であれ、時代の流れや人や文化や風俗を知ると、確実に今に繋がる物語なのだと知ることができる。その時、私は世界と繋がっていると強く感じる。その時代の人と、友達にはなれないが挨拶をしたような、そんな気持ちになれる。
私が死んだ後、誰かが私が生きた時代を見つめて、何かを感じるだろう。私個人にではなく、出来事や時代に対して。そう思った時、今を生きていると実感できる。

S型の言う今を生きるとは全く意味は違うが、私にとってはそういうことだ。
そう思えば、死ぬことも怖くなくなる。私が死んでも私が生きた時代は消えないし、物語は続いていくから。できれば物語の幕引きまで見守っていたいと思うが、それはそれで恐ろしい。
適度なところで私個人の物語はさっさと幕を下ろす方がいいのだろう。

ここからは余談。
私はユヴァル・ノア・ハラリの書いた本が好きだ。彼を科学ポピュリストと批判している記事を読んだ。なるほど、彼は歴史学者で科学者ではない。書いてあることに間違いもあるのだろう。
私は、未来を予測することは、物語の登場人物がメタ的に物語の行方を話し合っているようで、私は好きだ。ラインハルトがもし「俺はこの物語では倒しようがないから途中で病死して退場かな」と考えているようなものだ。とても面白い。
哲学は、それを思えば「この物語のテーマを答えなさい」だろうか。国語の問題になってしまった。

とても面白い。

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