101日記念と繋がり方の話

昨日あげた記事でnoteを初めて100日連続投稿になりました。
noteを始めた時に、とりあえず継続させるためしばらくの期間毎日投稿を目指しました。どれだけの期間かは決めていなかったのですが、100日というのはいい区切りになるのではないかな、と。
なので、今後は毎日の投稿ではなくなるかもしれません。

また、私が思ったよりもたくさんの方にフォローやスキをしていただけて、今月には1000スキを超えました。ありがたいことです。
普段は、デスマス調でnoteを書かないのですが、今は思考の整理やアウトプットではなく、いつも読んでくださる方へのお礼ですので、敬体で書いています。拙い文章ではありますが、今後ともよろしくお願いします。敬体終わります。

ここからは、noteを100日書いた上での感想。
私は人のブログや本を読むのが趣味だ。それらを通して自分の内面を鑑み、納得し、文章を通して思考力を鍛えてきた。
人の書いた文章は、時には自分の問題の解決の手助けをしてくれた。そして、時には反発もしたし怒りも感じた。私の文章も誰かの何かになったらいいな、という淡い希望を持ってnoteを書き始めた。

そして、noteを書いていて、本やブログを通して見つけた他者の考え方が、とてつもなく私の心や思考に深く根差しているのに気がついた。
思考を整理して、なるべくわかりやすく文章にすべく工夫を凝らすと、かつて読んだ本の一文が浮かび上がってくる。全く違う状況について考えていても、あるブログの一文を思い出す。そんなことがよくあった。

日本は海外から入って来た文化や考え方や技術を取り込んで、自国の文化として発展させるのが上手いと言われる。キリスト教を信仰していなくてもクリスマスを祝う人は多いが、クリスマスが信仰ではなく文化として定着したからだ。
私にとって、本やブログを読むということは、他者の考え方や考える技術を私個人の文化として定着させることなのかもしれないと思った。

そして、それは私にとっての理想の人付き合いだ。
私は挨拶や会話が苦手でコミニュケーションが下手で、人間関係が煩わしくて、精神的に引きこもりがちだ。おかげで友達がいない。
そんな私にとって、本やブログを通して人の考えや意見や疑問や様々な感情を輸入し、自分の文化として無意識のレベルまで深く定着させ、それを人に伝える。私が理想とする対話は、この形だったのかも知れない。

スタバの恐ろしいほどに長い名前の飲み物を飲みながら恋の話をしなくても、流行りの歌やドラマを何も知らなくても、友達がいなくても、私はこうして世界と繋がっている。
この繋がり方が世間からどう思われるかは別として、こんな人間がいるのも面白いではないか。私のような人が世の中の半数を占めるには多すぎるが、少しはいてもいいだろう。

世界との繋がりを感じる時、私は生きているなと感じる。私が生を感じる数少ないひとときだ。
これだけではないが、この繋がり方はnoteを書き始めて気づいたことだ。noteを書き始めて気づいたことをnoteに書き、また誰かに伝わる。もしかしたら誰かの文化や歴史の一部となれるかもしれない。
それは、私にとってとても嬉しいことだ。

今までは、毎日投稿するためにnoteを書いていたが、そんなことを意識しながら書くのも楽しそうだ。また一つ、楽しみが増えた。

みなさま、どうか今後も変わらぬお引き立てを賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。

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