私は他者や世界とどう繋がりたいのだろうと考える話

もし、私の人生が物語だとする。
恐ろしく内容の薄い物語になること間違いなしだが、それでも今まで関わってきた幾人かが登場人物として登場し、私や物語の展開に影響を与える。
そして、役割を終えると去っていく。
私は誰かの物語の中で、どう表現されるのだろう。

私は、人から「他人に興味なさそう」「人を拒絶してる」などと言われることがあるが、決してそんなことはない。他者や世界とどう関わるか、どう繋がりたいかが、おそらく人と違っているのだろう。
私は、仙人や神になりたいと思っている。ここで言う神は、全知全能の全てを司る神ではない。人から供物を捧げられて生きていきたいわけではない。
不老不死になりたいわけでもない。

イメージとしては、村から外れたボロボロの家に1人で暮らしていて、ほとんど人と関わることはないが、村で何かトラブルが起きた時に村長や青年のリーダーが訪ねたくなるような、そんな神や仙人になりたい。変わり者で気難しいが、よく物を知っている人。
ジョン・キーツが弟に書いた手紙の中に「美しく孤立した真実」という言葉が出てくるが、美しく孤立した真実に辿りついた人になりたい。

私はもしかすると、他人の物語の登場人物になりたいと思っていないのかもしれない。
私が主要登場人物としてクレジットされそうな物語は、親の物語くらいだろう。名前付きで登場できる物語もとても少ないだろう。だから、そもそも心配することもないのだが。
「他人の物語に登場する私」と「私から見た私」の間には差異が出るはずだ。どれだけ相手がフラットにありのままの私を見たとしても、誤差は必ず出てくる。

どうせ知るなら、できるだけ正確に私を見てほしい。だから率直に物を言うし、喧嘩になったとしても意見を伝えたい。だが、人を正確に理解することなど無理なことだ。だから、他人の物語に登場したくない。本当の私ではないから。
登場人物になりたくない私は、きっとそう考えているのだろう。

では、私はどのように他者や世界と繋がりたいのか。
例えば、推理小説で探偵が事件を解決する際に「犯人はこの密室に瞬間移動で入り、そして瞬間移動で出たのだ」と言い出したら、私はその場で本をゴミ箱に叩き込むだろう。
ファンタジーでは、空を飛んでも瞬間移動しても許されるが、推理小説や社会派小説では許されない。
物語の中には、物語内部だけで適用されるルールがある。

私は登場人物としてでなく、物語に登場せずにそのルールに直接働きかけたいと思っているのかもしれない。だから、神になりたい。
主人公である誰かを変えたいわけではない。物語のジャンルを変えたいわけでもない。物語の展開を変えたいわけでもない。
じゃあ何がしたいのか、自分でもうまく言えない。

高い山の上からそっと下界を見下ろして、人間たちの営みを眺めて、たまに人間社会のルールを変えてまた眺める。私は世界とそんな風に関わりたいのかもしれない。
私は、宿命論や運命論は全く信じていない。神の存在も信じない。世の中にあるのは人間が作ったルールだ。神が作ったルールなどない。

だから、私はルールを作る側になりたいのかもしれない。美しく孤立した真実を見つけて、美しく孤立した存在になって、その真実を現実に適用させたいのかもしれない。
自分で書いていて思ったが、確かに世界とこんな形で繋がろうと思ったら、人を拒絶していると思われて仕方ないかもしれない。
私が見ているのは、目の前にいる個人ではないのだから。

こんなことを考えながら、人や世界と繋がっている私はなかなかお茶目でかわいいと思っている。私は神ではない俗物だ。世界のルールどころか会社の謎のルールに振り回されながら、美しく孤立した真実について考えている私を、ぜひ神から目線で楽しんでいただきたい。

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