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誰と一緒にいるか


人間一人では生きられない、という言葉に同意しない人はいないだろう。
孤独が好きな私も(それは自由が好きだから、と言う理由が一番大きいのだが、要はわがまま)
さすがにひとりで暮らすことはできても、ひとりで旅することはできても、ひとりで生きられるとは思っていない。

ただ、「誰と一緒にいるか」はとても大事だと思っていて、友達が少ないのは厳選しているからだと、自分では思っている。(相手がどう思ってるかは、わからないし、聞いたこともない)
別に友達ではなくても、わざわざ時間を作ってその人に会いにいくからには、何かしら得るものがあると思っているからだ。
それは別に目にみえる利益、お小遣いがもらえるとか(祖父母に会いにいく場合は、これもあるかもしれないが・・・もう祖父母がいない年なので、これはない)一緒にいると元気になれるとか、癒されるとか、楽しいとか、が含まれている。プライベートで人に会う理由は、これらが100%かもしれない。

もちろん、得られるものを意識してないケースもあるが、「会いに行きたい」と思う時点で何らかの嬉しいポイントがある。ただ、気づいてないだけだ。

先日も、「楽しい」と思える人と会ってきた。
楽しかった。相手は「元気になった」らしいので、win-winだ。こう言う関係は長く続く。
最近は、「私が知りたい情報を持っている人」に会うようにしている。
ネットで調べても、本で読んでみても、それは一般論だったりする。
個人論を書いてくれている著者さんもいるが、さらに具体的な部分までは本には書いていない。
そこで、「知り合い」の登場だ。

今までに培ってきた人脈の中から、私が知りたい情報を持っているであろう人に会えるチャンスは逃さないようにしている。
知り合いなので、突っ込んだことも聞けるし、教えてくれる。
こう言う時のための人脈だ、とつくづく思う。
そうして得た情報を活かし、自分のさまざまなことについての決定を下していく。
もちろん最終的には自分で決定するのだけど、確かな情報は多い方がいい。
そして今、何よりありがたいのは、この人に会う時間と、決定し実行していく時間があることが
ありがたい。
仕事で忙しかったら、これらの時間は取れなかったのだから。やはり直感に従って行動してきてよかったと思う理由がここにある。
時間がなければ何もできない。
時間があるから、働くこともできるが、働きすぎて他のことに使う時間がなくなると少しづつ何かが狂い始める。

誰と一緒にいるか、と時間をどう使うか。
これを制したら、何も恐れることはないような気がしている。

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