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我慢しないで

コロナ以降、いらなくなった思考の一つが「我慢」だと思っている。
我慢は良くない。
良いことが一つもない。

我慢して付き合う。
我慢して仕事をする。
我慢して続ける。
全部良いことではない。

確かに昭和の時代は、これらが良いことだったし、当たり前だった。

「お父さんは家族のために我慢して定年まで働いた」
と言うのが、まかり通っていた時代だ。
確かにお父さんが定年まで働けば、まとまった金額の退職金が手に入った。
それで住宅ローンの残りを完済し、ハワイ旅行くらいに行って、老後の資金にする。それが当たり前だった。

しかし、この考え方が「失っているもの」に誰も注目していない。

このお父さんの生き方で失っているものは、「お父さんの自由な時間」「お父さんの可能性」だ。お父さんにはもしかすると、ものすごい才能があったかもしれないが、それを開花させる時間はなかった。仕事のせいで。
お父さんが自由に、行きたい場所に行き、好きなことをする時間はなかった。仕事のせいで。
「定年になったらできるでしょ」とその当時は思われていたが、30代でできることが60代でできない可能性は十分にある。
30代でヒマラヤ登頂に成功する確率は高くても、60代では余程のことがなければ、また経験がなければ無理だろう。ましてや、60代で「ヒマラヤ登頂に挑戦しよう」という気持ちがなくなっているだろう。

もちろん、家族はそのおかげで幸せだったかもしれない。食べるのにも困らず、進学もできたかもしれない。でも、お父さんはそれで良かったのだろうか。まあ、それと引き換えにお父さんは家庭内で大事にされ、お父さんに家族が合わせてくれていた時代なのかもしれない。

お父さんを例に取ったのは、全く意図があるわけではない。たまたまだ。
これが、シングルマザーのお母さんでも同じだ。一番良いのは、「本当に好きな仕事で稼いで家族を支える」という働き方なのかもしれない。今は、それが主流になっている。だからこそ、新入社員が入社1ヶ月で辞めてしまうのだ。我慢はしない、と言う生き方の表れに思える。

もちろん、どちらの生き方にも良い面、悪い面はあるので、どちらが良いのか、どちらが好きなのかは、個人による。
ただ、我慢はストレスを引き起こし、体調不良や心神の不良にもつながる。

私がスクールを開いて一年目に、自律神経失調症寸前だった頃、名医にかかることができ、その先生は薬も出さず、血液検査の結果も出ていない中、「おそらく自律神経だろう」と言った。
「この病気は、真面目な人、完璧主義な人に起こりやすい。そして、原因が自分では分かってないことがほとんどだ。思い当たっているなら、自律神経なんてやられないから。性格を変えろとは言えないので、とにかくかかっているストレスを発散するしかない。何か、楽しいこと、やってると楽しくて時間を忘れてしまうことってありませんか」と聞かれたが、すぐに思いつかなかった。

「僕は女房と一緒に映画を見に行くのが好きなんだけどね」
と言われた時に、昔は大の映画好きだったのに「私もです」とは、咄嗟に出てこなかった。
自分が映画好きだったことさえ、忘れてしまっていたのだろう。
「たとえば、お友達と一緒に時間を忘れて話すとか」と言われたが、当時友達とはほとんど会ってなかった。スクールを軌道に乗せることで頭がいっぱいで、友達と会って話をする時間があったら、もっと働け、もっと仕事しろ、って自分に命令をしていた。
「とにかく、ほっとする時間を少しでも良いから作ってみてください。あなたが、忘れた頃にこの病気は治っていますから」と、結局一粒も薬を処方せず、終わった。

その医師は、地域の医師会会長をされているほどの名医だが、病院は古く、昭和の病院だった。ちゃんと脈もとるし、先生に会うだけでほっとする、と言う、まさに医師らしい医師だった。
(今は廃業されている。この当時で60歳半ばくらいだっただろう)

これ以来、私は仕事の途中で少しでも時間を作って、カフェに行き、ぼーっと景色を眺めたり、そういえばゴルフをしてたな、と思い出し、営業に行く車のトランクの中にゴルフバッグを入れ、時間ができたら練習場に行って、100発くらい打つ、と言うのを繰り返していた。
そして、ある日気づいたのだ。「あ、この頼まれた仕事を断りたいけど、断ったらこの後仕事をもらえないかもしれないし、スタートしたばかりなのに断るなんてダメじゃない」と思い、しばらく返事を保留していたことを。気づいていないストレスとはこれだったんだな、と思いすぐに断った。程なくして、続いていた微熱は出なくなり、いつの間にか自律神経のことも忘れていた。あの名医の診断通りだった。

その後は、好きな仕事だけ引き受け、自分のやりたい仕事での拡大を目指した結果、27年も続けることができた。開業1年目であの医師に出会ったことは、私にとってとてもラッキーなことだったんだな、と思える。

この頃、一つの励みになる言葉を見つけた。

「人間は今日しか生きられない。昨日にも明日にも生きられない」

誰の言葉だったのか、を覚えていないのだが、この言葉が私を支えてくれた。

明日のことを心配するから、不安になる。でも、明日は生きている保証はない。でも今日は生きている。じゃあ、その「今日」を大事にしよう。
そう思ったら、スッと気が楽になった。
今日やるべきことをやっていれば良いんだ。それがきっと明日につながる。
今日やるべきことだけを考えよう。

あれ以来、仕事ではほぼ我慢をしてこなかった。
人間関係では我慢をしたな、しすぎたなと思うことがあるが、今は我慢をしていない。
我慢しなくてもちゃんと生きる道はある。
「我慢しない」と決めて、「我慢しなくて良いためには、どうしたらいい?」と考えれば、方法はいくらでもあることに気づく。

納得している我慢はいいし、期間限定の我慢もいいと思うが、我慢をし続けると、「我慢耐性」がついてしまって、我慢していることにさえ気づかなくなるのが怖い。
そして、本人の自覚がないまま体と心が変調をきたす。それが、「あなた我慢しすぎだよ」のサインだ。

生き方は千差万別。
誰かと同じ生き方をする必要はないし、みんな同じ家族形態である必要もない。
家族の誰もが幸せになる権利があるのだから。

我慢はもういらないよ。

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