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世界が全く違って見えた日②


昨日、世の中が違って見える例として、朝の通勤電車を取り上げて書いた。

世界が違って見えるのは、「立場が変わった瞬間」だったと書いたが、実はもう一つあった。

それは「環境を変えた時」だ。
環境を変えるには、引越しがあるが、もっと簡単に環境を変えることができる手段がある。
それが「旅」だ。

海外旅行に行くと、それだけで言葉、気候、通貨、店、人種、街の様子、食べ物、飲み物、もっといえば、法律、宗教までガラッと変わる。
この環境の変化を求めていく人は、この変化を楽しむからこそ、世界が違って見える。
変化が嫌いな人は、おそらく海外には行かないだろうが、仮に行ったとしても、世界が違うことはわかっても、その奥にあるものは見えない。
なぜなら変化に対応することで精一杯だったり、変化を嫌がる気持ちがあるからだ。

その奥にあるものとは、どんなものだろうか。

ある島に行った時のことだ。
見つけたカフェにフラッと入った。
そこには、母親らしき店主とその息子、そして東京からの1人の女性客がいた。
すでに話し込んでいたらしいこの3人の話を、
うっかりスマホを忘れてきた私は、聞くともなしに聞いていた。

しばらくして気づいた。
女性客が標準語なのはわかるが、店主も訛りのない標準語だったことに。
どうやら店主も以前、日本の西の地方都市から移住していきた人だった。
しかし、この女性客と店主達は明確に違う点があった。
洗練された雰囲気の女性客は、この島のまだ開発されてない部分が良いと思う一方、もう少しおしゃれな雰囲気にできたらもっと良くなるのに、と暗に言っていた。
しかし、店主もその30代くらいの息子達は、全く島の開発に興味がないように見えた。

なぜなんだろう、と考えた時にわかったのだ。

都会の人間が動く最大の動機である「お金」では、この島の人たちは動かない、と言うことが。
彼らは、食べていけるだけのお金があればいいと思ってるらしい。
それ以外には車は必需品だから、車の維持費、ガソリン代、食費、光熱費があれば生きていける。
趣味の旅行は、この島自体が旅行先のような様子だから、車を走らせばすぐに綺麗な、開発されていない海が見える。
そこでお弁当を食べながら話しているおじさん達も見かけた。
毎日が旅気分だろう。

つまり、ブランド物も、高級車も、洋服代、女性ならば化粧品代、旅行費用さえもいらなくなる。日焼け止めは必要だろうが。
たまにはスナックに飲みにいくだろうが、酒さえあれば自宅でみんなで集まれば、その飲食代も浮く。
都会の人間が働いたお金の多くを費やす住居費も、親と一緒に住んでいればかからない。たまの修理費も、島には数名しか修理できる人はいないだろうから、知り合い価格でやってもらえるだろう。
この島はそもそも台風対策で、インドネシアのように、家は石、コンクリートでできてるから、修理費はあまりかからないのだろうと思った。

住居費、見栄のための費用、交際費(人が亡くなるなどの時は大変かもしれないが)洋服代、がかからなければ、お金を使うことがない。
そうなれば、お金は働く動機や、無理をする動機にならないのだ。
だから開発は進まない。この島の人は、自分たちの今の暮らしの方がいいから、開発を望まない。
無理してきつい思いをして働くなんてあり得ないし、開発された途端に多くの人が島にやってきたら、生活自体が壊れてしまう。それは、嫌なのだ。

このように旅によって環境が変わることで、土地の人の話を聞くことで、大事にするものが違っていて、自分の価値観が崩れる。
そこから、自分はどう生きていきたいのかを考えるきっかけが生まれる。
この破壊と再生作業が好きで、旅に出ているのかもしれない。

一つ言えるのは、今私達が見ている世界は、全てではないと言うこと。
場所が変われば、全く違う世界があるということ。
それを知ったら、たとえ今いる場所で苦しい思いをしていても、自分に合う場所があるはずだ、と思えるだろう。

ちなみにこの「ある島」は、日本国内だ。
日本の良さを最大限利用しつつ、日本の都会の問題点から離れて暮らすには、本当に良い場所だと思った。
何より、お金を生活や人生の中心にしなくていい。
お金に振り回されず生きている人たちは、大事にするものが都会人とは違うのだろう。
そして、彼らはお金を中心にしない生活が「普通」「当たり前」だと思ってる一方で、都会人はお金を中心にした生活になってることが「普通」「当たり前」だと思っている。このことにさえ気づいていない人もいるが。

この旅はまさに、世界が違って見えた旅だった。


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