世界が全く違って見えた日
いつからだろうか。
以前見えていた世界と今見ている世界が、同じものの
はずなのに、違って見えることに気づいたのは。
朝の通勤電車。
この言葉を見ただけで、多くの人は同じ景色を想像するだろう。
黒っぽいスーツを着た中年男性が、ネクタイをして、笑顔一つなく、席に座っている姿や、満員なのにさらにぎゅうぎゅうと体を押し込んでくる光景を。
なぜかこの中にあまり若い人を見かけない。
若い人はもう少し遅い時間帯に出勤するのか、時差出勤をしているのか、リモートワークなのかはわからないが、この光景の一つになりたくないのかもしれない。
そういえば、先進国と呼ばれる国々を昨年訪れた際にも、ほとんど若者が働いているところを見かけず、中年と老年の人たちが、クルーズ船のガイドや、ライドシェアのドライバー、レストランのウエイターをしていたのを思い出す。
途上国では、若い人たちが全面に出てたくさん働いていたのと、対照的だった。
話を戻すが、朝の通勤電車に自分が乗っている時には、「嫌だな。明日から少し遅いので行こうか、いや、早いので行こうか」と考えていた。
しかし、仕事を辞め通勤時間帯に旅の目的で乗った時、この光景は全く違ってみえた。
私は、この電車に毎日乗る人でなくて良かった。
みんなこれから仕事なのに、私は遊びに行くんだ。
良かった、と言う意地悪な優越感が、最初だった。
次には、
なんで早くここから抜け出さないんだろう。
幸せそうにはみえないんだけど、と、
今度は余計なお世話なことを考えていた。
同じ光景の一部にならないことで、客観的に見ることができたのだろうが、立場を変えることは誰にでもできる。
もちろん満員電車が気にならない人には、全く余計なお世話だと思うが、私の周りにいた中年男性たちは、全く楽しそうでもなければ、生き生きもしてなかった。
「みんなもそうだから、こんなものだろう」
と思っているのかもしれない。
「みんなと同じであること」に安心を覚えていると、
どうしたらこの状況を変えられるのかを考えるのをやめてしまうのだろう。
さらに考えてゾッとしたのは、この人たちが目覚めて行動し始めたとき、困るのは誰だろう、と考えた時だった。
目には見えないその正体を見ようとした時、この仕組みを作った人の姿が見えてきた。
その朝いつもと違ってみえた世界は、まるで手品の種明かしを見せられたかのように見えた。
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