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愚か者

己の愚かさに気づかない人は傲慢

己の愚かさを認めたくないのは弱さ

己に愚かさはないと思ってる人が本当の愚か者


先日、バスを待っている間に、ふと思いついた言葉だ。
何のことはない、私が自分の愚かさに気づいたときに、「ダメだなー」ではなくて、
「愚かな部分に気付いたから、いいじゃん」

と開き直ったことから、出てきた言葉たちだ。


私は、誰よりも不器用なタイプだと自認しているため、基本的に初めてのことは必ず時間をかける。
一度でうまくいった経験がないからだ。

小学生の頃から習っていたドラムでも、先生のお手本を見てすぐに演奏できたことは、一度もない。
自宅に持ち帰り、何度も何度も練習して初めて、課題が演奏できた。

走るのも割と早い方ではあったが、スタートの際に緊張してしまって、なかなか一番にはなれなかった。
それを見た父が、休みの日に公園でスタートの練習をなん度も何度もしてくれたから、一番になれた。
客室乗務員の訓練中も、教官が見せてくれた実技も、私は一度でできたことがない。
他の同期は器用にスイスイと、教官が見せてくれた通りにできていたのに、だ。

だから今でも、失敗をするし、勘違いをするし、後悔もする。
それは仕事でもそうだし、私生活、人付き合いでもそうだ。

だから、日々いろんなことがあるし、気持ちの浮き沈みもある。
ただ、「自由であること」さえ、確保していれば、大抵のことはスルーできるし、立ち直れるし、幸せだと感じられるのだと知っているから、何とかやれているだけに過ぎない。

この時もバス停でバスを待っている時に、自分で反省をしていたのだ。
「馬鹿だなー自分」
と。

以前の私ならば、「馬鹿だなー自分、ダメじゃん」まで、思っていた。
ところが最近は「ダメじゃん」がなくなった。

「それも自分」と思えるし、相沢 みつを氏の「だって人間だもの」と言うフレーズが思い浮かぶ。

だから、「自分の愚かさを知っていて、気づいていて、私まだいいじゃん」と思ったのだ。

一方で、自分のミスを認めない人や、謝れない人、失敗しそうなことは最初から挑戦しない人、失敗した人を笑う人、失敗した人を、ダメなやつだと烙印を押す人が多いのも知っている。

ただ、どう考えても人間、完璧な人なんていない。
どんなに完璧に見える人にも、絶対にコンプレックスやあまり好きでない自分が存在すると思っている。
最近は、完璧じゃない自分も自分の一部なんだと言う考え方になったので、反省はしても、私自身の自己肯定感は下がらなくなった。

他人のケースで言うと、自分に愚かな部分はない、と思っている人とはあまりお話ししたくないし、愚かさをわかっていても認めない人は、弱いんだなーと思うし、周りは気づいているのに、本人だけ気づいていないと言うのは、ちょっと自信過剰ではないか、と思う。

もちろんこれは私が思うことなので、どんな性格の人のことも批判や非難をする権利は私にはない。
十人十色で、その人にはその人のことを好きだと思う人もいるので、それはそれで良い。

おそらく私は「自戒を込めて」、傲慢にならず、弱いままでおらず、本当の愚か者にならないように、と思ったのだろう。

自分は自分のままでいい。
だけど、自分でこんな人になりたい、とかこんな人にはなりたくない、と言うのはあっていいのではないか、と思っただけなのだ。


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