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異次元に行ける場所

昨年世界一周の旅から帰国後、とにかく本を読みまくっている。
「本中毒」という言葉が、ピッタリなくらいに、読んでいる。

それは図書館のお陰でもある。
図書館で2週間10冊まで借りることができる。

現在は一人の作家の本を中心に、あとは図書館で目についた本を、まるで本屋で選ぶかのように選び、読んでいる。

そして、本を借りたあとは、「月刊紙」が置いてあるコーナーで、一冊面白そうな月刊紙(小説がたくさん掲載されている)を、目の前にあるソファに座って、一編の小説だけを集中して読む。

この時間が結構、楽しい。

周囲では、図書館の係の人と利用者の会話もなされているはずなのだが、この集中して読んでいる時間、私にはほぼ何も聞こえていない。

読み終わると、それは大抵素晴らしい、と思える小説ばかりなのだが、ハッと我に帰ったように現実世界に戻った気がする。

そう、あのソファで一編の小説を読んでいる時、私は異次元にいるに違いない。
それが心地よくて、あのコーナーに行くのだ。

ありがたいことに図書館は徒歩圏内にあるので、行こうと思えば休館日以外毎日行ける。
先日は、テイルームとやらにも入ってみて、一杯二百円のミルクテイを飲みながら、借りてきたばかりの本を読んだ。

小学生の頃から本が好きだった。

おそらく最初に読んだ本は、「野口英世」の伝記で、まさに今と同じように一心不乱に、両親や妹のことも全く目に入らず読んでいたら、最後に野口英世が自ら研究していた黄熱病で亡くなるという、私からすればまだ身近な人の死も経験していない中、物語を通じてすっかり野口英世が身近な人になっていた私にとっては、衝撃が強すぎて、大きな声で号泣し始めた。

両親がすっ飛んできて、「どうしたの!!」と、大きな声で聞くが、私はしゃくりあげるほど泣いていたので、言葉にならない。ただ、今まで読んでいた本を指差し、「わーーん、わーーん」と泣いているだけだった。

今思えば、なんと感性が豊かなんだと思うが、子供ってそれだけ純粋なのだと思うし、その純粋さだけを抱えて生きていられたことに、羨望の念を持つ。

一つだけ私が失っていないのは、「一心不乱に本を読むこと」だ。
今はオーデイブルが流行っていて、耳から物語を聞くらしいが、私は活字中毒でもあるのだろう、どうして文字を一心不乱に読みたい。

そして、子供の頃と違うのは「私も一心不乱に読んでもらえるものを書きたい」と思っている点だ。
読後、読んだ小説のエッセンスを自分の中に、栄養ドリンクのように注入している自分がいる。
それは、飲んだあとどの血管に入って、どのような効果があるのかは目に見えないが、やがてそれは、作品を生み出すエネルギーになり、ヒントとなっているような気がしている。

変わらないものと、変わるものがあるのは、世の常だが、本中毒であることは生涯変わらないのだろう。
今日も私は、ある街のある図書館にいるに違いない。

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