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何もしてないことは悪い、って誰が決めたんだろう


もしかすると私だけかもしれない。
「何もしてないことが良くない」と思ってきたのは。
だからこそ、空白のスケジュールを埋めようとしていたのは。

おそらく、仕事をしてない🟰無職、と言うイメージが悪いんだろうなと思う。
でも、一見何もしてないように見える人は、何かの資格を取るために勉強中かもしれない。
家族の介護中かもしれない。
闘病中の人もいるかもしれない。

もし、本当に何もしてなくても、たとえ自分のためであっても、
料理や家事をしているだろう。
本当に何もしてない人なんて、実は存在しないのだ。
人の人生を「良い」「悪い」と言う権利は誰にもない。

働かなくても生きていける人も、世の中沢山いるし、その方法は増えている。

一曲大ヒットを飛ばした人は、印税収入があるかもしれない。
今ならば、コツコツと投資してFIREしてる人もいるかもしれない。
親の遺産がある人もいるかもしれない。

人はそれぞれ違うのだから、何もしてないことが悪いなんて、誰にも言えないのだ。

私は人にそれを言ったことはないが、自分に言ってたように思う。
「何もしてないのはダメなんだ」と言い聞かせて、オファーされた仕事は全て引き受け、空いてる時間はセミナーに参加したり、ビジネス本を読んでいた。

それが無駄だったとは思ってないが、全て本当に望んでやったことか?
と聞かれたら、Noだし、その時間ボーっと海を見ていた方が、良いアイデイアが浮かんだかもしれない。

今は、気が向かない仕事は断るし、辞める。
行きたい場所には行き、会いたい人には会いに行く。
行きたくないところには行かないし、会いたくない人には会わない。
SNSも少し整理しようと思っている。
もし行ってみて、会ってみて、思ってたのと違っても、「行って、会って確認した」ことで、満足する。

スケジュールが空いていても無理に埋めず、思いついたことをやっている。

空いた時間は
本を読む
好きなカフェに行く
人間観察をする

好きなファッション雑誌を見る
アパレルのお店をのぞいてみる

料理をする
掃除をする
洗濯をする
クローゼットの整理をする

などをやっている。

これらをやっている時は、デジタルデトックスにもなってるし、無心でやっている。
それはそれで、「今を生きている」し、終わった後気分が爽快になっているのであれば、やってよかったことなのだ。

結局、自分に与えられた24時間をどう使うのかは、自分に委ねられていて、
自由なのだ。
誰かにとやかく言われるものではない。
ただ、なんとなくで良いから、興味があることを調べたり、計画を立てているとその方向に向かい始める。
日々のスケジュールが埋まるのは、その向かい始めて動き出す時が来た時だ。

川の流れも、上流はチョロチョロと水が流れているが、だんだんと川幅も広くなり、水量も増える。
そして勢いが増してきた時が、日々の生活で忙しいと感じる時だろう。
今、「何もしてないよな」と思ってる時は、川の上流にいるのだと思えば良い。

何もしてない人は存在しないし、誰もその人自身の時間の使い方に意見することなんてできない。
たとえ自分自身に向かっても。

自分だけは自分を認める。
私にはその訓練がもう少し必要な気がしている。


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