見出し画像

衝撃✖︎衝撃✖︎衝撃=破壊と創造



衝撃


衝撃


衝撃

3つくらい、「衝撃」という言葉を使わないと、
今日の90分は語れない。


1月からエッセイ講座を受講している。

前回は、オンラインでの受講だったのだが、
今回は初のリアル受講。


目から鱗が10枚くらい落ちた。


その衝撃内容は次の通りだ。


衝撃1


受講生、みんな変わってる。

あまり普通の人がいない。

良い意味でみんな何かどこかがねじれてる


でもそれが文章になると面白い


文章は上手い下手ではない、と言うのが良く分かった。


じゃあ何か?


「個性」


文には人柄が表れる

どこまでそれを出し切れるかが命。


それしかない。

衝撃2


先生がすごい。

一人一人に的確なフィードバックをする。

そして何より一読者としてのフィードバックと、
元某週刊誌編集長のプロの目の両方でフィードバックする。


切れ味の悪い先生だったら、やだなぁと思ってたけど、
全然いい!


衝撃3


みんな上手い。

読みやすさ、好みはそれぞれだと思うが、
ある程度自信がある人じゃないと、講座には来ない。


でも、「文がうまい」のとはちょっと違う。

みんなわずか1000文字くらいの中に、
自分を書かず、自分をだしているのだ。


つまり、自分のことはほとんど書いてないけど、
たとえ書いていたとしても、それは自己批判であり、
読み手が軽い気持ちで読めるものだ。

「うまく書こうとするな」


と先生に言われたが、他の人のを読むにつれて、
徐々に自分でも感じていた。


初心者ドライバーが、慎重に慎重に運転してる感じが私。


道を十分に知っていて、
運転に慣れてるのが他の人。

私は「エッセイスト」としては、
優等生路線を走ろうとしていた。


違う。


面白いのは、ユーモアある劣等生。


私は30年も、「先生」と言われる立場できた。

先生としては「型破り」だが、
人間としては、普通、常識の道を歩いてきた。

それを、酷く実感した。

でも、本来の自分は違う。


父が変わり者なのだが、その血が私にも流れているのを
感じた。

いかん。


ようやく自分を、そして
自分らしさを解放できる環境になったのに。

子供も一人前になり、
気遣う家族もいない。


何を書いても驚かない家族しかいない。


これを生かさないで
自分を表現しないでどうする!

それでもまだまだ自分の殻は固い。
気がつくと、いつもの考え方や、習慣が顔を出す。

もっともっと殻を破る事を意識して、書き続けよう。


「沢山書いてください」


とも、先生は言った。


今までの自分を打ち破るつもりで、じゃんじゃん書こう。


自分にしか書けない文が、死ぬまでに
一つでも書けたらそれで良い。


それが死ぬ1日前でも良いから。


失望とやる気とワクワクが入り混じった、
私のエッセイ中毒宣言。




上野 博美

サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!