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「街③」楽しいことしか浮かばない街」


客室乗務員時代の「ステイ地」ばかりの紹介になっているが、それほど思い出深いのだと思う。

そして、今日の街は客室乗務員のステイ地としても、とても人気が高かった街の一つだ。
私には楽しいことしかなかった街。
あの時代ならではのお話を、たくさんご紹介できると思う。


「千歳」

言わずとしれた、北海道の玄関口。
その当時は「千歳空港」、今は「新千歳空港」。

当時は、千歳空港から10分ほどの場所にあるホテルに宿泊をしていたのだが、
他社のクルーもこのホテルが宿泊場所となっていて、いろんな航空会社のクルーがロビーにいたのを覚えている。

このホテルのレストランでいただく食事も美味しく、さらに千歳といえばお寿司、というくらいに、安くて、回らないお寿司屋さんに何度も行った。

この当時は回転寿司はまだない。
ほっけという魚を知ったのも、この頃だ。


当時は2泊3日で、2日目は今は別会社となっている「北海道エアシステム」がフライトしている、道内をフライトしていたため、(千歳ー釧路、千歳ー帯広など)余裕があるスケジュールとなっていた。
そのため、ある時お昼頃にフライトを終わり、副操縦士の方が「整備さんに車を借りるから、メロン狩りにいかない?」というお誘いを受けた。


「メロン狩り!!」

二つ返事で承諾し、夕張へと副操縦士さんの運転で向かった。
中がオレンジのメロン、果肉がジューシー、高級メロン、という代名詞の夕張メロン。
そして事前に話をつけていたらしい農家に行った。
農家の方に、美味しいメロンの見分け方のレクチャーを受け、ハサミで自分が気に入ったメロンの茎を切る。


なんと一個1,000円か1,500円で売ってもらえた。両親にも送ってあげたいと思っていたら、副操縦士の方が、「カーゴのところに持っていけば安く送れるよ」と教えてくださり、両親にも2個送ることができた。


帰る際に、農家の方がそこで取れたプチトマトと、形が不揃いのため売れないというメロンを山のようにくれた。
おかげで、車の中がメロンの香りでいっぱいになるほどだった。
さて、このメロン、どうしよう・・・とみんなで車の中で話し合った結果、
「そうだ、ホテルの方々にあげよう」と思い立ち、自分たちが欲しいだけもらった後、ホテルの方々へ事情を話して差し上げ、喜んでいただいた。

あの時代だからこそ

そして、もう一つの思い出は「ストライキ」
千歳ステイの際に、私のいた航空会社が「ストライキ」を実施した。
今の時代では考えられないと思うが、当時は一年に一回は航空会社はストライキに入っていたのだ。
それは航空会社だけではなく、電車、バス、電機メーカーなどもだ。
その後ストライキは日本から消えて行ったが、従業員の要求を通すにはその方法しかないから仕方がない。
今はストライキがないから、ブラック企業が存在するのだと思う。
ストになると、フライトはない。管理職であるキャプテンは本来仕事をしないといけないのだが、副操縦士がいない、客室乗務員がいない、整備士がいないのでは、仕事にならない。


お客様には大変ご迷惑をおかけするのだが、組合員である私たちは組合の言うことを聞くしかない。
その日は、「欠勤」となり、欠勤して会社から賃金カットを受けた分は、組合費から補填される。
つまり、休んでも賃金カットは発生しない仕組みだ。
すると、3クルーほどが宿泊していることがわかり、何もすることがないのでみんなで出かけようということになり、新人だった私は先輩たちについて行って楽しかったことを覚えている。
今では考えられない時代だ。

冷や汗が出たあの日

ある二泊三日千歳ステイの二日目の朝、電話の音で目が覚めた私は、「モーニングコール」だと思って黙っていた。

すると「もしもし、おはようございます」と女性の声が聞こえる。


「○○です。ピックアップの時間ですけど」

と言われ、ハッと目が覚めた。
私が寝坊して、先輩が電話をかけてきたのだ、と眠っていた頭が一気に働いて理解した。

「申し訳ありません!すぐに行きます!」

と言って、電話をガチャぎりし、制服に着替えようと一生懸命袖に手を通すのだが、なかなか入らない。

なんのことはない。
浴衣を着たまま制服の袖を通そうとしていたのだ。

いかん、パニックはいかん。
落ち着いて、落ち着いてと言い聞かせ、とりあえず制服だけ着て荷物を持ってホテルの部屋を飛び出た。

「申し訳ありません!」と90度お辞儀で謝り、タクシーに乗り込む。
空港到着の10分間でノーメークからフルメイク、そして髪のセットも終わらないといけない。新人だから助手席に座ってるのに、だ。


揺れるタクシーの中、なんとかメークも完了し、仕事についた。
当然この日は1日中、先輩方に謝りっぱなし。
自分の仕事もどこか落ち着かず、「絶対に2度と寝坊はしない」と心に誓う。
帰りに目覚まし時計を買って帰ったのは、実はその後もある・・・

客室乗務員にとって、遅刻は厳禁だ。
飛行機が飛べなくなるからだ。
もちろん、本拠地であれば「スタンバイ」と言われる人たちがいるので、その人たちが代わりに飛ぶことはできる。(迷惑な話ではあるが)ただ、ローカル空港でのステイの場合、代替要員はいないので、遅刻は絶対にダメなのだ。

多少の遅刻でも怒られない業界もあると、今は知っているが、当時は遅刻は絶対にしてはいけないことの一つだと叩き込まれた。
そのため、退職してからも数年間、寝坊して飛び起きる夢を見て、飛び起きるということが続いたほどだ。


千歳の話はほとんどなくて、私の失敗ばかりだが、お寿司、お菓子は北海道の素晴らしさだ。

・マルセイのバターサンド
・六花亭のホワイトチョコ
・バームクーヘンも一般的ではない時代からの、三方六
・ロイズのチョコ

などは、お土産に良く買って帰った。
さらに、かにずし、いくらめし、などもお弁当で良く買って帰った。
一昨年久しぶりに北海道に行ったが、すぐに札幌に移動したため千歳をじっくり味わうことはできなかった。

北海道の自然を見ていると、自分がちっぽけな存在に見えてくる。

寝坊したことなんて忘れてしまうほどだ。

(忘れられないけど)


悩んでいることがバカらしい、と思える。


そんな大きな懐を持つ北海道、千歳の春はまだ先だが、今度は礼文あたりに行ってみたいな、と思っている。


上野 博美

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