見出し画像

48日間世界一周ファーストクラスの旅帰国後5週間で変化した3つのこと


9月21日から11月7日まで、私は48日間の世界一周の旅に出ていました。
4大陸を回ってきました。

これほどの長い旅行は初めてで、留学で10ヶ月間アメリカに滞在したことはありましたが、旅行としては最長です。

受けた影響や学んだことも、大変多く忘れないうちに書き留めておこうと、日々書き続けています。

たまたま帰国後体調を崩したため、「1週間後」「2週間後」「3週間後」「1ヶ月後」と自分で感じた変化を書いています。


旅行に出ていた期間と同じ期間、つまり48日間、7週間まで、自分を観察してみようと思っています。

1週間目から1ヶ月までは、こちらに書いています。

帰国直後


2週間目

3週間目

1ヶ月後


ということで、今日は私が感じている5週間目の変化は3つです。

時が経つにつれて、変化していることが減ってきているのが面白いです。


1 日本に馴染みすぎ

2 海外の良さを思い出す

3 嫌なものは嫌

1 日本に馴染みすぎ


和食が恋しく、毎日のように和食を食べている今、食の影響なのか、あまり人と関わっていないのに、すでに日本に馴染みすぎている自分を感じています。

具体的には、

頑張りすぎ
周囲からの評価を気にする
目標設定とそれを厳密に守ろうとする真面目な自分
未来を想像して不安になる自分

これらは、日本人ほぼ全員が持っているのではないか、と思う気質ですが、それを私ももろに持っていたんだな、と改めて気づきました。

なぜ気づいたのか、というと、「旅行中はこれらを完全に手放していたから」
です。

旅行中は、

・予定もないから、頑張らなくてよかった。

・周囲とは接していないし、発信もペンネームでしていたので、気にならない。

・目標は帰国後に立てようと思っていたので、真面目な自分は飛行機に乗り
遅れないことくらいでしか、発揮されていない。

・未来は旅行中は想像できない。

今考えてみると、旅行って移動中の上空、飛行機の中って感じです。

どこの国にも属さず、どこの人間関係にも、コミュニテイにも属さない。
(正確には載っている航空会社の国籍の法律が適用されるんですけどね)

目的地は決まっているけど、時間に猶予がある状態。

この「どこにも属していない」という感じが好きだから、旅が好きなのかもしれない、と思いました。
(ただの自由大好き人間ですね)

やめました。
頑張りすぎるのは。
計画も緩い計画にします。

大事なことは、「良いもの、納得できるもの」ができること、だから。
最近見直しました。

日本にいながらも、日本に馴染みすぎない自分でいようと思います。

2 海外の良さを思い出す


正確に言うと、「海外にいる感覚を思い出す」です。

異言語、異文化、だからこそ言わないとわからないし、相手の当たり前と自分の当たり前が違う。それが面白い。
見たこともない建物を見たり、景色を見る。それも面白い。

こういうことは、やっぱり日本にいたらできません。
私は日本で行ったことがない県が、3県くらいしかなく、(仕事で空港だけ行った、というのを加算すると、2県のみ)なので、あとは島々くらいなんです、行ってないのは。

八丈島、小笠原諸島、佐渡島、礼文等、利尻島、南大東島、北大東島、与那国、西表島、淡路島などです。

近々淡路島にはいく予定を立てたので、楽しみですが、このどこにも属さず、少しアウエイな感じが、心地よかったな、と思い出しているのです。

密な関係は、やっぱり私は好きではないみたいで、ひとりでいることが基本好きなんでしょうね。
話すのは家族と、本当に親しい友人だけでいい。
そんな感じです。

これからは、贅沢な旅はできないかもしれないけど、やっぱり旅は続けていきたいです。
さらに、「ここなら住んでもいい」というところが見つかったら、同じ場所に1ヶ月くらいの滞在をするのもありかな、と思っています。


3 嫌なものは嫌


わがままの極みです。笑

食べ物も、本も、仕事も、人も、全て我慢するのをやめました。
自分が嫌いなものは、目にしない、口にしない、です。

こんな風に書くと、ずいぶん怖い人と思われるのかもしれませんが、本来人って我慢するべきではないと思うんですよね。

少なくとも自分が食べるものや、読む本、くらいは我慢はしなくていい。

仕事や人間関係は多少の我慢が必要かもしれませんが、できる限り我慢しなくていいように誘導して行ったほうがいい。

だから、嫌なものは嫌って、普通のことだと思うんですよ。
子供の頃、好き嫌いしないで食べなさい、と言われたことがある人は、あれは一種の虐待だとさえ思います。

親の舌と好みは子供とは違うのに、です。

親だって自分が嫌いなものは、料理しないのに、です。

私の母はいい母親だったと思いますが、なぜか「牡蠣鍋」の時に、牡蠣をお皿に取って食べてみたら、苦くて、私は食べたくなくて残していたら、それを食べるまでご馳走様はできない、と言い出したんです。

もう辛くて辛くて・・・泣きながら飲み込みました。
今でもこのことは恨んでいます。母に言っても、謝ったりはしてくれません。

今は牡蠣は好きなんですけどね笑
あれはやっぱり虐待の一種だったと、今でも思っています。

こういう、「おかしなこと」っていっぱいあると思うんですよね。
それを私自身には、おかしいことはおかしいと思って拒否する、でいいと思ってるんです。

ここは、世界一周で確信したからずっと守り続けるぞって意識していないと、流されるかもしれないな、と思ったので書きました。

嫌なものは我慢しないほうがいいです。

最後に

帰国後5週間目ともなると、日本の影響が少しづつ、良くも悪くも出てきています。
もちろん、何を選択するのかは、私次第ですが、自分の当たり前に気づき、
選択することができていることが、世界を見てきた番の収穫なのかもしれません。

次は6週間後にお届けします。どんな変化をしているのか、私も楽しみです。

サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!