図々しい生き方
「図々しい」
という言葉には、悪い意味が多いだろう。
なんだか厚かましい、人のことなど全く考えていない人のことを想像すると思う。
ただ、私が実際にやっている「図々しい生き方」とは、「対 人」ではない。
人に対しては、図々しくはないと思う。
距離もとっているし、相手の様子を見て、判断しているつもりだから。
(本当のところは周りの人に聞いてみないといけないが)
私が実際にやっているのは「対 経験」に対して図々しい生き方をしている。
つまりはこういうことだ。
パンデミックで私の仕事は大打撃を受けた。
そのせいで、住む場所、事業のあり方、コストの掛け方全てを見直した。
自分自身を見つめ直す必要もあった。
その時間が十分にできたくらいに、暇ができたのだ。
あの忙しかったのが嘘のようだった。
ようやく昨年2022年から、少しづつ元に戻ってきているが、この2年間の間に経験したこと全てを、noteや今後電子書籍に書いていこうと思っている。
私自身の逆境に出会った時の、自分の建て直し方も含めて、だ。
これが「経験に対して図々しい」ということだ。
そして、元気になった今は、さらに新しいことに挑戦していこうと思っているし、
それらはきっと何か、どこかで私は絶対に生かすだろうと思っている。
ただのケチ?
そうかもしれない。
経験したことは全て、何かで、どこかで生かすべきだと思っているのだ。
私はあの時期に自分を見直したからこそ、今年は突っ走れると思っているから。
そう、全ては無駄ではなく、必要な経験なのだ。
元気がなかった時は、自分への課題をなくした。
「○○しなきゃいけない」「○○すべき」を排除した。
「やってもやらなくてもいい」と、自分に許可した。
好きなことを好きなだけやればいい。
嫌なことは、必要最小限でいい。
幸いにも私は書くことによって、自分と対話ができた。
さらに自然と触れることで、自分の感性が動く瞬間に敏感になった。
それによって、自分が何を求めているのかがわかってきた。
散歩をした。
花をいつも飾っていた。
プチ旅行、本格旅行に何度も行った。
本を読んだ。
会いたい人にだけ会いに行った。
これらは今も継続している。
この経験で得た生活の仕方、考え方によって、私は今後あのようなダメージを受けても、もう大丈夫だと思っている。
もちろんそんなダメージがないように、今後新しいことに挑戦していくのだけど。
人生には波がある。
谷底にいる時には、いたいだけいればいいと思う。
やがて谷底から上がりたいと思った時には、自然と上がってくるものだから。
その経験も記憶に新しいので、友人の相談の際にも気持ちがわかってあげられるだろうと思っている。
どこでもいい。
自分が経験したことの全てを、どこかで生かしていく。
そうすれば、全ての経験に感謝できる。
失敗や挫折はない。あったとしても一時的だ。
最終的には全て自分の糧にしていく。
一つも無駄にはしない。
そんな生き方が、「図々しい生き方」だと思っている。
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