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「街 14 親孝行の思い出の街」


現役の客室乗務員時代に、両親を連れて行った場所について書こう。

まだ、両親は健在だが父はもともと飛行機が嫌いなので、あの時に
飛行機に乗ってくれてよかったとおもう。

航空会社職員の福利厚生


航空会社には、社員には「EmplyeeFare 」つまり、「従業員優待航空券」がある。

本人と一親等は、無料。
二親等は半額(航空会社によって違いあり)、三親等は。。。など
規定があるが、航空関係者は飛行機に乗るのに、お金を払うなんて。。。と
言う感覚が芽生えるくらいだ。


コロナ前、そしてJALは破綻前までは、本当にたくさんのEF(略してこう呼ぶ)
をもらえたし、私が現役の頃には実はある一定数までは予約もできた。

最近は予約ができないので、繁忙期には乗れない、と言う卒業生の話をよく聞く。
いずれにしてもただで旅行に行けるのは、エアライン関係者の特典だ。
(何度も言うが、会社によってかなりの差がある)


そこで私は飛行機代は、全員EFで、宿泊先は会社の健保が契約している
旅館などを予約して、かなり「安価な」親孝行旅行に連れて行った。


その地が、高知、松山、香川だ。

はるか昔の旅の思い出

高知では、びっくりするくらい小さなはりまや橋を見て、
温泉に宿泊、翌日は香川の金比羅山に登って、さらに
松山では半日観光バスに乗って、松山城を見て、「正岡子規記念館」
に行った、と記憶している。


もうずいぶん前の話で、両親が今の私と同じくらいの年齢だったから、
車がなくても十分に見て歩くことができたな、と思う。


大した親孝行ではなかったが、それでも3人で行った、と言うことは
なかなかないことで(妹がいるから)良い思い出になっている。

一人旅とは違って、両親を連れての旅行はある意味、場所はどこでも
よくて、「一緒に行ったね」と言う、思い出こそが親孝行なのだと思う。


人が死んだ時に持っていけるのは、経験と思い出だけ


と言う言葉を聞いたことがある。

だからこそ、親孝行とは「思い出作り」なのだろう。

これからの旅


両親も高齢になってきた。
おかげさまで元気にしているが、確実に別れの時は来る。
どんな時も、応援し、支えてくれた両親にできる限りのことはしたいと
思う。
自分が悔いを残さないためにも。

一緒に旅行に行くことができたのは、約8年前が最後。
車でも良いので、またどこかに連れて行ってあげたいと思うが、
コロナ次第というところが困ったものである。

旅をすると言うことは、刺激や解放であり、好奇心を満たしてくれるものだと
思っていたが、実は街や人との出会いもひっくるめて、思い出となっているのだとあらためて思う。


コロナによって思い出作りが中断している人はたくさんいると
思うが、私は気をつけながら旅を続けていくだろう。


だって老いも若きも、誰だって、いつまである命かわからないのだから。


上野 博美


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