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私のこれからの生き方


今、私は自分の回想録を自分で書いている。
0歳から30歳まで書けたところだ。

回想録を書いていると、多くの発見がある。

私が愛情をいっぱい受けて育ってきたこと

私が運が良いこと

私が持って生まれた才能、資質

さらに、私の生き方のクセ

まで、わかってきた。

回想録は、自己分析にうってつけの方法だとつくづく思う。

実は、私は生徒さんたちの面接対策として、人の自己分析のお手伝いはたくさん
やってきた。
私自身は、過去のことを比較的覚えている方なので、自分の自己分析は十分にできていると思っていた。

しかし、昨日はおそらく私の人生の中で、最も私が辛かった時のことを思い出して書いていて、あの時の苦しみも一緒に思い出し、辛くて途中で書くのをやめた。

ただ、ありがたいことにそれは随分前のことで、今のことではない。
だから、きっと今日も続きを書くことはできるだろう。

苦しみを思い出したことは、一時的なもので、それよりもこれだけの辛いことがなぜ起きたのか、を考えてみた。
もちろん、それは私の運命だったのかもしれない。
それは避けられなかったことなのかもしれない。

でも、一番辛かったこと、2番目に辛かったこと、3番目に辛かったこと(コロナの年)に共通点があるような気がしたのだ。
ここからは思考を使って、言語化してみた。

それは「流れに抵抗していたこと」だ。

運命が川の流れだとすると、私はその流れに逆らってきた時に、これらの辛い思いをしていることに気づいた。
川の流れは、その流れに乗って仕舞えばどこに辿り着くかはわからないし、コントロールはできないが、それさえも「まあ、しょうがない」「むしろどこに行くのかたのしみ」と思えれば、辛い思いはしなくて済む。

しかし、上流から下流に流れているのに、その流れに逆らってシャケの川上りのようなことをすると、辛い目に合う。

ちなみに調べてみると、シャケは産卵のために生まれた川に戻ってくるが、産卵を終えるとすぐに死を迎えるらしい。
つまり、死ぬために川上りをする。そりゃ、人間も流れに逆らえば辛さが待っているのは当たり前なのかもしれない。
死なないだけ良かったのかもしれない、と思った。

確かに辛いことが起きる前には、サインはキャッチしていた。
「やめておいた方がいいかもしれない」という出来事があったのに、
私はそれを無視して押し切った。すると苦しいことに出会った。
それを、3回繰り返していることに気づいたのだ。

この回想録を書くという行為によって、私が自覚したことはどんどん増えていっているのだが、
今の時点で、私の課題は「流れに身を任せる生き方ができるようになること」のようだ。
何もしない、ということではなく、自分の直感や違和感を信じて生きるということだ。
思考を排除し、自分が人生をコントロールできるという傲慢な考え方を変えることだ、と思って今朝目覚めたら、noteの記事で二人の方がこれと同じことを書いていたのを読んだ。

「そう、それがあなたのこれからの生き方だよ」と言われた気がした。

シンクロは、メッセージ。
答えはいつでも用意されている。
気づくか、気づかないか。
信じるか、信じないか。

辛い思いをした時は、私は気づいていたのに信じなかったのだ。

それに気づいただけでも、これからの私の人生は変化し始めている。
苦しい思いも、辛い思いもする必要はない。
しなくていいようにセッテイングされているはず。
あとは、流れに乗ればいいだけ。

あとは感じている流れに乗ってみればいい。
ベストタイミングでそのサインはやってくる。

そんな意識で、今日一日をスタートした。


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