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胸がチクッとする留学の思い出



高校2年生で、アメリカの公立高校に1年間
留学した。


まず最初は、言葉の壁。


初日に宿題が出されていたことを、英語が理解できていなかったため

わかっておらず、翌日先生に指名され
初めて宿題が出ていたことを知ったくらい、
全くついて行けてなかった。


案の定、前期は国語である、英語の単位を落とした。


次に、文化の壁。


それは、留学後半になって、
ある程度英語が話せるようになったときのことだった。


ホストファミリーには、3歳と7歳の男女の子供がおり、
彼らたちは寝る前に両親のところにきて、

「Good night. 」

と言って、お互いハグしてほおにキスをする。

最初は驚いたが、この頃にはかなり慣れていたものの、

ふと

「いつも寝る前にハグして、キスするんだね・・・」


と、独り言のように私が言ったときのことだった。


ペルー人であるホストマザーは、心から驚いた様子で

「え?あなたは両親とハグやキスをしないのか」


と聞く。


「うん、しないよ」


というと、さらに驚いた顔で

「なんでしないのか?
両親を愛していないのか?」

と聞く。


英語は十分にお互いに分かり合えているのだが、
文化、習慣の違いがそこにあるのを感じながら答えた。

「ううん、ちゃんと両親のことは愛しているよ。
でも、日本人は愛してるとも言わないし、
キスもしないし、ハグもしない」


というと、この世のものではない、初めてのものを
見るように(初めてだったのだろう)


「なんで?!」


とさらに聞いてくる。


私は、どう説明したらわかってもらえるのか、
必死で考えながら言った。


「私たちはお互いを愛していることは、口に
出さなくてもわかっているから言わない。
そういう習慣がないの」


「信じられない」


と何度も言って、私もこれ以上話してもきっと
わかってもらえないだろうとあきらめた。


きっと日本人は、世界でも変わり者の国民だと
思われただろうと思うと、それがとても悔しかった。


そして虚しかった。


私が虚しかった理由


「言わなくてもわかる」


「察する」


という文化は、確かに日本独特だろう。


しかし、私が虚しさを感じたのは
英語さえできれば、世界中の人と話ができ、
分かり合えると思ってアメリカまできたのに、
英語ができるようになっても、
ホストファミリーとでさえ分かり合えない経験を
したからだ。

「私はなんのために勉強したんだろう」


そんな思いがしばらく続いた。


でも、やがて気づいた。


私は、彼らの文化、習慣を認めていた。
日本では、決してしないけど、
アメリカでは、必要であれば友人とハグをしたし、
頰へのキスもお互いにした。


でも、ホストマザーは日本の文化を、
自分の想像を超えたため、最後まで認めてはくれなかった。


日本人の習慣を、受け入れてほしいと思ったわけではない。

真似してくれ、と思ったわけでもない。


ただただ、「そんな文化もあるんだね」と
認めて欲しかったのだ。


文化の壁を越えるために必要なこと


それは、


「認め合うこと」


どんなに自分が驚くような習慣であっても、
どんなに自分が信じられない考え方であっても、

「そんな文化もあるんだね」

「そんな考え方もあるんだね」


「相手を認めること」


この姿勢がなければ、結局どれほど語学を学んでも、
人と分かり合えることはない、とわかった。


これは、外国人同士の話とは限らない。
日本人同士でも同じだろう。
言葉の壁よりも、「心の壁」を感じたことは
ないだろうか。


自分の意見や考えを、全く認めてもらえなかった経験が。


言葉の壁より、文化の壁より、「心の壁」
を取り払うことが、人と人がうまくやっていける
大事なことなのだと今は思う。

こうした経験が17歳くらいでできたことは、
間違いなく自分の人格形成や、考え方のどこかに
反映していると思う。


留学したことは、一ミリの後悔もないけど、
今でも胸がチクッとする思い出だ。


上野 博美


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