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のりこえないと、ダメなカベ

一度、フタをして奥へしまいこんでしまったものに再び取りかかるのは、とても大きな勇気とエネルギーがいる。

それがそこにあるのは知っていて、ずっと頭の片隅では気になっていて、でもいまは時間や体力がないからと見てみぬふりをしてきたもの。

もう一度フタを開けるのは、正直ちょっとこわい。当時から時間も経過し、自分の状況もいろいろと変わったいま、その中身と、同じ思いで向き合えるのかわからない。

でもきっと、それをしないとわたしは前へ進めないのだ。

* * *

昨日の夕方、きゅうりの酢の物を作っていて、ぼんやりと、ある光景を思い出していた。

それは20代だったわたしが、オーストラリアにワーキングホリデーで行っていて、ある田舎の家庭に滞在していたときの話。

農作業や家の手伝いなどをすることで、食事と寝る場所を提供してもらえるというシステム(WWOOF)があるのだが、当時その家には私と、もう一人日本人女性のWWOOFerがいた。

普段はその家で作ってもらうご飯を食べる。ただ各家で、滞在中に1度くらいは日本食を作って食べてもらう、というような機会を作っていた。

それでまあ、巻き寿司やら鶏の照り焼きやら、ポピュラーなものも作ったりしていたのだが、そのときは、きゅうりの酢の物もサイドディッシュとして作った。

いや確か、ひとりで全メニューを作ろうとしていたのだったけれど、時間内に終わりそうになくてやや焦っていたとき、彼女が見かねてサッと手伝ってくれたのだ。とにかく、彼女がきゅうりを切って、塩もみをして、絞っている様子だけは覚えている。

そしてことのほかその家のオーナーは、きゅうりの酢の物を気に入ってくれて、レシピを知りたがった。SUSHIやTERIYAKIはもう向こうでもそのままで通じるくらい知られたメニューだけれど、ニッチなのがよかったらしい。

それで夜、彼女はイラスト入りでその作り方を書いていたっけ。絞るってなんだっけ、squeezeか〜、そんな会話がぼんやりと残っている。

* * *

導入がやたら長くなってしまったけれど、とにかくそんな感じで、私は料理をしながらワーホリ当時の断片をぽろぽろと思い出していた。

いつもは足にまとわりついてくる1歳の娘が、昨日はまだ慣れない保育園の疲れでぐっすり眠っていたから、珍しくしん、としていて考え事しやすかったというのもある。

そして、いろいろなことを思い出して、いまの自分までつながってきたとき、ひとつのことを決めた。

ずっと心にひっかかっていて、まだ形にできていなかったものを、形にしよう。

今やらなかったら、たぶん二度とできない気がする。

* * *

ずっと心にひっかかっていること。

それは、過去に個人のライフワークとしてインタビューさせてもらって、記事として公開できていないものがあるということだ。

ワーキングホリデーから帰国して3年後、ある思いがあって、日本へ帰ってきた友人と、まだ向こうで暮らす友人、そして現地でお世話になった職場の編集長、大切な3人にわざわざ時間をもらって取材をさせてもらったのだが、それが作業途中のまま止まってしまっている。

取材直後はクライアントワークに忙殺され、休日に時間をとって作業をちまちまと進めるも、結婚に引っ越しでバタバタし、ようやく落ち着いて取り組めるかと思ったら妊娠が発覚すると同時に絶対安静になり

寝たきりのなか、うう、申し訳なさすぎる…と思いながらもそのままになっていて、ああもう無理だとフタをして、見てみぬふりをしているうちに、初めての0歳児育児がスタート。てんやわんやと心身のジェットコースター。

言い訳にすぎないと言われれば本当にそれまでなのだが、時間も体力も気持ちも余裕がなくて、何かにじっくりと取り組むことがとてもできなかった。

でもずっと、心のなかではひっかかっていて。

もう、このままお蔵入りになってしまうのだろうな……、せっかく、とてもいい話を聞かせてもらったのに、もう本当に、申し訳ないやら、もったいないやら、なんてことをしてしまっているんだろう私は、とかなりくるしいきもちを抱えていたのだった。

* * *

もう年月が経ってしまって、二度とチャンスはないだろうと勝手に思っていたけれど。

それ、noteで書いてみようかな。

と、昨日夕食を作りながら思った。やっぱり本当に、人生において大切なエッセンスがたくさん詰まっている話を聞かせてもらったし、私の心のなかにとどめておくにはもったいなさすぎるのだ。

インタビューをさせてもらったのは2015年の9月だから、すでに2年半が経つ。ご本人としても言いたいことが変わっている可能性は大いにあるだろう。事前のご本人確認はもちろん、必要に応じて追加インタビューをさせていただいて、ていねいに編集をしなければならない。

本当は、イベントレポートも取材も鮮度が大事。当日が一番書きやすいし価値がある。こんなに年月があくのは非常識だ。だからこそおっくうになって、もう無理だと思っていた。でも、それでも。それを考えても、埋もれさせていい話じゃないなぁと、思うのだ。

それに、ずっと前から、やりたいと思っていたこと、伝えたいと思っていた情報。今ここで向き合わないと、わたしはそれより前には進めない。

わたしは基本スタンス、がんばらなくてもいいことはがんばらずにいこうよ、なのだけれども、これは「越えなければダメなカベ」だ。

* * *

当初は自分で小さなWebページを作ってそこにインタビューをアップしようと思い描いていたけれど、noteという場所を知って、そこへどういう人々が集っているのかを知るにつれ、むしろこの場所で書いてみたい、と思うようになった。

わたしはnoteの空気感が好きだ。有名も無名もそれぞれの人が、思い思いに発信をして、互いに尊重しあっているゆるやかな空気が。

それでいて、人のコンテンツに無関心なわけではなくむしろその逆で、直接の知り合いじゃなくとも、よいものはよい、スキだよと言ってくれる人々が集っているなぁと感じている。

大好きな人たちの人生からわたしが感じとったことを、ほんのひと握りかもしれないけれど、受け止めてくれるひともここにはきっといる、という予感がしている。

追加インタビューなどのやりとりも含めると公開できるのはしばらく先になってしまうと思うけれど、ゆるやかに、お待ちいただけたら嬉しいです。

* * *

この春から仕事をぽつりぽつりと再開して、さて業務量を増やそうかといろいろとリサーチして考えていたけれど、クライアントワークに忙殺される前にやるべきことがあった、と気づいたのでした。

そして、わたしが本当にこどもに伝えたいことはその中にある。ビジネスもそりゃ重要だけれど、それはまた別の次元の話で、自分がこどもに伝えたいという意味ではそれよりもはるかに大切なことがあるなぁ、と。

自分が経験してきたことや、その延長にあることが、やっぱりいちばん強い。いろいろなことにおびえていたけれど、いちばん届けたいことに、正直になろう。

口を開けてぐっすりと眠る娘の姿を眺めながら、そう思った。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。