とある妊婦の脳みそ【2】大勢いるのに知られてない「安静妊婦」というポジション
自分が妊娠するまで、私の中の「妊婦さん」のイメージといえば、基本的には「元気」だった。
それはかつての職場で、取引先で、大きなお腹を抱えながらも産休直前までばりばり働いていた方々を何人も見ていたり、街中で家族と買い物をしたりしている妊婦さんを見かけたりしていたからだろう。
もちろん、つわりで気分が悪くなり吐いてしまったりする、という知識はあったけれど、「基本的には働くこともできるし出歩くこともできる」ものだと深い考えもなしに認識していたのだ。
それが、今なら違うとわかる。
自分もそうだったように、安静指示が出て家にいても家事すらできずに寝たきりだったり、入院や点滴を繰り返したりしている妊婦さんが、決して珍しくなく、本当にわんさかいることを知ったからだ。
でも同時に、以前の私の認識も無理はない、とも思っている。
なぜなら単純に、「元気な妊婦さんは外で見かけるけれど、そうではない妊婦さんは外で見ない(出かけられないから、見かけない)」からだ。
同居する家族など、よほど身近な人であれば話は別だが、そうでもなければ安静中の妊婦さんと接することはない。当然、その存在は家族や病院以外の人たちにはめったに意識されることがないのである。
この事実に気づいたとき、「ああ、そうだったんだ!」「でもそりゃ、そうだよねぇ」という素直な驚きがあった。
つくづく、人は自分の目線で見ている世界でしか、物事を認識できないものだなぁと思う。
* * *
私の場合も妊娠発覚とほぼ同時に切迫流産(流産の危険性が高いという状態)の診断を受け、医師から自宅での安静を指示された。
安静レベルは医師の方針や患者の状態によって異なるのだが、そのとき指示されたのは外出禁止、家事も一切禁止、入浴も禁止、シャワーも最初の1週間は禁止という入院一歩手前のもの。トイレと食事以外はすべて横になってじっとしていること、と説明を受けた。
当時の私はといえば、その1週間前までは妊娠していることも知らず、出張で飛行機にのったり、長期休暇でいろいろなところに出かけたりと動き回る日々。そこから、突然の安静。
一瞬にして生活がぐるん、と変わってしまった。
* * *
安静指示を受けたとき、フリーランスとしてまさに進行中の仕事もあった。
最初の数日は「なんとかこの案件だけはやり遂げたい……」と横になった姿勢のままPCも横にし、ポチポチと休みながら編集してみたものの、つわりの症状もひどくなり、画面を見ているだけでも酔う。作業すること自体が困難な状態になった。
とても常時のクオリティに仕上げられる状態ではないと自分でもついに認識したこと、なにより別の命がかかっているので、無理をしたせいで取り返しのないことになってからでは遅い、と判断し、取引先に事情を話して途中までのデータを引き継ぎ、泣く泣くキャンセルした。
フリーランスという立場で、個人で仕事をいただいていた自分にとって、どんな事情にしろ一度は「やりましょう」と引き受けた仕事を途中で突然投げ出すということは、本当につらい。
積み重ねた信用を失うのは一瞬、相手によっては二度と仕事をもらうことはできない事態。それでも、命には変えられない。そんな葛藤があった。
幸いそのクライアントの方は長く付き合いもあり、かつとても理解のある方だったので、温かいコメントとともに関係をつないでくださった。心から感謝しているし、自分もそういう人間でありたいと深く思った。
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それから約2ヵ月にわたって続いた、長い長い安静生活。
週に1度、産院に経過観察へ行くほかは、ひたすら寝ている。途中からは数日に1度のシャワーも許可されたが、トイレ、食事、シャワー以外は基本的に寝たきりだ。
締切に追われ徹夜もいとわず働いているときの自分が聞いたら「自分が病気なわけでもないのに何もせず横になっているだけでいいなんて!」と、うらやましさすら感じたかもしれない。
だが実際は、それはそれはつらかった。
つわりによる体調面と、安静によって孤立してゆく精神面と。ダブルでじわじわと追い詰められてゆく感じなのだ。
つわりによる体調面についてはまた次回改めて書くが、とりあえずひとことでいうと、四六時中気持ちが悪い。あれほど毎日のお友達だったPCに向かうことはもちろんできないし、寝ながら見ることができるスマホや本、テレビですら、しばらく見ているとすぐに酔うため見続けられない。
また、出かけられないので夫以外の人と話すことができない。夫は献身的に家事に買い物にと尽力してくれたので感謝しかないが、それでも仕事に出かけている時間がやはり一番長い。その時間、私は家でぽつん、だ。
完全なる引きこもりである。
いや、それまではむしろ、ひとりの時間というものが大好きだったはずなのだ。ひとりカフェ、ひとり読書、ひとり映画、ひとり旅、最高。至福の時。
けれどそれは、普段仕事やプライベートでたくさんの人と接するからこその、ひとりの時間のよさだったと気づく。
いざ自宅軟禁状態になってみれば、その孤独感たるや半端ない。
それまでも家でひとりPCを開いて仕事をすることは日常だったが、チームメンバーや取引先と電話やメッセージのやりとりが日常的に行われていたその環境とはまったく違う。
皆は忙しく仕事をして日常が続いているのに、自分だけはインターネットすらまともに開く気になれず、一箇所でじっと動かずにいる。
「ぽつん」。
うごめく広い世界の中で、ちょん、とペン先で描かれた点を表すようなその響きを、これほど実感した日々はなかった。
* * *
先日たまたま見たTV番組の中で、宇多田ヒカルがこんなことを言っていた。
「人って、相手との関係性の中でしか自分を見いだせない」。言い回しは少し違うかもしれないが、意味としてはこういうようなことを。
それを聞いて、私は初期の安静当時のことを振り返り、ああ、そのとおり!と強く共感したのだった。人との関わりが失われると、人は自分を見失う。
ここからは前回少し触れた、自分の意志との乖離の話につながる。
妊娠する前の自分は、どちらかといえば思い立ったら行動、国内海外問わず知らないところへ出かけるのが好きだし、意志さえあればいろんな課題をなんとかして突き進む、みたいなタイプだと思っていたわけだ。
それが妊娠して、しかも絶対安静を指示されたとなると、出かけることは当然できないし、家の中で外とつながるインターネットをしようにも画面を見ているだけで酔うし、病気でもないのに食欲もないし、吐き気と戦いながらひたすら横になってじっとしているしかできない。
あれがやりたい、これをこうしたい。そんな自分の意志がいくらあっても、何もできないという状態の、なんとつらいことか。
「あれ、自分ってこんなんだったっけ」。
そんな思いが、妊娠してからずっとあった。今まで自分はこういう人間だ、と思っていたことがすべてガラガラと崩壊していくような気がして、自分の人格なんてものはなんてあいまいなのだろうと思った。
ちなみに「自分が自分じゃないような感覚」は他の妊婦さんも味わうことが多いらしく、その背景には、一般的にはホルモンバランスの影響もあると言われている。妊娠中はホルモンバランスが変わって情緒不安定になりやすく、突如泣き出すことも多いというものだ。
そして実際私も、つわり×絶対安静×ホルモンバランスの影響からか、初期の安静時には自分でも理由がよくわからないまま突如泣き出すことがたびたびあった。
あらかじめホルモンバランスの話を伝えていたこともあってか、夫はそんなときも冷静に落ち着いてなだめてくれたのでとても感謝している。ただその後、自分も冷静になると、「いつから自分はこんなに女々しいキャラになりさがったのだろう」と思ってまた、情けなくなって落ち込むのだ。
そしてループする。
「ああ、自分ってこんなんだったっけ」。
* * *
何もすることができない。圧倒的な無力さと、毎日の孤独と。
そんな安静生活の中でなんとか気持ちを保つためのことばは、「私は今、ただ寝ているだけだけれど、お腹のなかで、人間を育てているんだ」という意識だった。
寝たきりでじっとして、息を吸って、吐いて、ときおり野菜ジュースや果物を口にして。
自分では「何かをしている」自覚すらないそんな当たり前のことが、その1秒1秒の積み重ねが、お腹の中の生命体に酸素を送り、栄養を送り、赤ちゃんが生きることのできる環境を少しずつ、作っていっている。
もしもあなたの身近に、初期の安静で同じような無力さと孤独を抱えている妊婦さんがいたなら、どうかそんな発想でささえてあげてほしい。
ただ寝ているだけにしか見えないかもしれないけれど、目に見えないところをどうかすくいとって。
「がんばっているね」と、そっと寄り添ってあげてほしい。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。