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自分で自分のご機嫌をとる


昨日は「自分で自分を認める」
そして今日は「自分のご機嫌を取る」と言うタイトルで書いているのは、正しいかどうかはわからないけど、理由があると感じている。

自分で自分を認めて、
自分で自分を褒めることには、一円のお金もかからない。
5秒程度でできることだ。

そして今日は自分で自分のご機嫌をとっている、と言っても、クーラーが効いた居心地の良いカフェで好きなものを食べているだけなのだけど。

この「自分のご機嫌を取る」と言うのは、海外、そしてセレブの方々は「Self  care」と言う言葉で、女性ならばエステや、美味しい食事、楽しい飲み会など、自分たちが楽しいと思うことを、思う存分やる、と言うことを表すらしい。(海外ドラマに出てくる)

昨日近くに住む家族が、病気になって入院した。
命に関わるものではないが、残された家族も同じような症状で、今朝買い出しに行き、食べたいだろうなと言うものを買っていった。
病気の時に1番困るのは、家に何も食べるものがない時だ。
きつくて買いに行くこともできず、食べないと回復もしない。
朝早くから自分自身は朝食も食べずに買い出しに行き、渡して帰ってきた。

予定も一つキャンセルしたし(仕事ではないが)私自身の決めていたスケジュールも変更したが、家族、身内にできることはしておきたいので、優先した。

大事なのはその後だ。

変更したスケジュールを取り返すためにも、昨日くらいから行きたいと思っていたカフェに行くことにした。
(ご機嫌取り1)

そこで普段だったらカロリーを気にして避ける、クリームたっぷりの飲み物を注文。(ご機嫌取り2)

さらに「好きなお席にどうぞ」と言われたので、普段ならば一人だから遠慮して狭い席に座るのだが、今日はある程度長くいる予定なので、窓際の広い席に座った。(ご機嫌取り3)

そして当初のスケジュールにあった、このnoteを書いている。
すごくクーラーの効いた場所で。

私の気分は、最高だ。(お手軽なセルフケアだけど)

これからここでバリバリと仕事をする予定だ。
(毎日通ってもよさそうだ。電気代とカフェ代を天秤にかける必要はあるが)

なぜここ最近私が「自分を認め」「自分のご機嫌を取り」「自分を大事にする」のか。

午前中は家族のために、少しだけ自分の都合を後回しにした。
もちろん自分がそうしたかっただけなのだけど、それでも予定が崩れたことには違いはない。

だからこそ、その後はバランスを取るために、自分の都合と希望を優先させたのだ。
そして何より、先日から書き始めた「回想録」のおかげも大きいと感じている。
まだ「0歳から3歳」「4歳から7歳」「7歳から10歳まで」しか書いていないのだが、それだけ短い人生の中にも、本当に多くの出来事があり、不思議とそれらを光景と共に明確に覚えていて、その時々で影響を受けていることを、強烈に感じている。
子供時代は決して侮れない、大事な時期だと思うと共に、何より私は両親に愛され大事に育ててもらったのだとわかる。
感謝の念が湧き上がり深くなる。

その大事にされてきた自分を、自分が大事にしないでどうするんだ、と言う気持ちがふつふつ湧いているので、「自分を認めて、自分のご機嫌を取る」ことを無意識のうちにやっているのだろう。

もちろん全ての人たちが親子関係が良好なんてことはないことも、知っている。
だからこそ、これを当たり前と思わず、感謝して、自分を大事にして、この先も生きていこうと思っている。

忘れていた自分
気づいていなかった周囲からの愛

に気づくことで、今の自分を大事にできるなんて、「回想録の威力」感じている。
自己肯定感、爆上がりだ。

おそらくスピリチュアル的に言えば、親子関係がどうであれ、私達はみんな宇宙に愛され、望まれている存在なのだろう。
それならば私達が自らを認め、大事にすることは、誰もが持っている資格じゃないか。

茹だるような暑さの中、今日の後半をどうやってさらに自分のご機嫌を取っていこうか、ワクワクしながら、窓の外の景色を見ながら考えてるところだ。


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