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類は友を呼び続ける


「類は友を呼ぶ」と言う言葉を知らない人はいないだろう。
「るいとも」と略されて使われることが、昨今は増えている。

つまり「同じような人たち同士が友達になる」という意味だと解釈している。
これが悪い意味で使われることもあるが、私は良い意味で感じることが多い。

仕事を辞めてからめっきり人と会う機会が減っていたのだが、ここ最近なぜか人と会う、コミュニケーションを取ることが増えている。
以前から知っている人もいるが、初対面の人たちもいる。
ただ、全くと言っていいほど違和感を感じていない。
これがまさに「類は友を呼ぶ」と言うことだと思っている。

30年以上前に出会った人と、3年ぶりくらいに会った。
彼女とは一緒に海外旅行にも行ったことがある仲だが、旅行先ではそれぞれに興味があるものが違うので、別行動をして決めた時間に決めた場所で再度会う
約束をすると、それぞれに目的の場所へとひとりで旅行をする、と言う、普通の女子二人旅とは全く違うものだった。

そんな私たちの3年ぶりの再会は、ふと思いついて移動中のバスの中で声をかけたら、お互いに会える時間が取れた、という軽いものだった。
それでも3年ぶりに会っても、30年前と全く変わらないし、そのまま方向性がブレることなく中年になっているだけだった。
だからこそ、お互いに興味を持っていることも、考え方も基本の部分は変わらず、どんな話になってもうなづける部分が多かった。

これはおそらく、お互いに軸の部分はすでに20代の頃から出来上がっていて、それを隠すことなく、いや隠すことなどできなかったのだと思うが、生きていたからこそ同じ空気を感じ、いまだに連絡を取り続けているのだろう。
そして3年ぶりに会っても、変わらない、ということは私自身も軸の部分は変わっていないということなのかもしれない。

類は友を呼ぶ、と言う言葉をいい意味で使えるポイントは、「いつでも自然体で、自分らしく」と言うことなのだろう。
自分を無理に相手に合わせたり、思ってもいないことを言ったり、我慢して付き合ったりしないことだ。

自分らしくいると、離れていく人もいるだろうし、自分から離れていく場合もあるだろうが、逆に親しくなっていく人もいるし、自分から親しくなりたいと思う人に出会っていく。

一人一人がまるで岬の灯台の役割を果たしていれば、そこに船は集まってくる。
逆に自分が船となって、「いいな」と思う灯台に近づいていく。

人間関係とは最初が肝心で、自分が自分らしくいれば、違和感がない人と出会い、その出会いは何十年経っても「類は友を呼び続ける」ものなのだと実感した2時間だった。


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