幸せを感じる理由
どのくらい前からだろう。
毎日毎日ささいなことで、「幸せだー」と感じ、声に出すようになったのは。
1年前はまだそんな状態ではなかった。
時々晴天の空を見て、「幸せだな」と感じても、声に出すほどではなかったし、毎日のことでもなかった。
ここ最近は、本当に快晴の秋晴れが多く、幸せ感を感じる機会が多い。
晴天であること
月が綺麗であること
星が綺麗であること
夕陽が美しいこと
紅葉が美しいこと
公園の気が良いこと
公園の鳩たちが幸せそうなこと
リビングの花が綺麗であること
ご飯が美味しいこと
市場の野菜が新鮮で、安いこと
思いがけず会いたい人から連絡が来ること
この日程しかない、という日に集まりたい人が集まれること
仕事で出会った方々が皆さん素晴らしいこと
自分には合わない仕事を断れること
多くを期待しないから、失望も少ないこと
自分の棚卸しをして、見つかったものが楽しいこと
書き出せばキリがないくらいだが、ほとんどが「自然」に関することだ。
今までも見ていたはずなのに、その美しさに気づいてなかった。
それは「心の余裕がなかったから」
忙しい時は、確かに仕方がない。
でも、忙しさの渦中で、ふと立ち止まり「なぜこんなに忙しいんだ?」「何のためにこんなに忙しい思いをしているんだ?」と自分に問いかけることは大事だと思う。
実は、あまり必要がない仕事であったり、雑用であったり、そのせいでとても忙しくなってしまっている可能性もある。
ただ、それは習慣となっているので、疑うことをしない。
子供にお金がかかる時は確かにある程度忙しいのは仕方がない。
私も娘が大学生の時、今だったら絶対にやらないスケジュールで働いていた。
ただそれは「娘のため」と思っていたので、できたし、期間限定でやれた。
東京に移転した際も、何とか軌道に乗せようと思っていたし、果たして東京でも通用するのかを試してみたかったから、過去最高の忙しさだった。
もし、パンデミックがなければあのまま「習慣化」していた可能性もある。
そう思うと、強制的に止められてよかったのかも知れない。
そして、2022年は「頑張らない、無理しない、我慢しない」という目標が、浮かんできてそれを今年のモットーにした。
そこからかも知れない。
毎日が幸せだと思えるようになったのは。
夢中になるのは良い。
楽しむのも良い。
集中するのも良い。
毎日続けるのも酔い。
本人が楽しいと思っている限りは。
ただそこに「○○しなければならない」「○○しなければ、だめ」という強制力が入ってくると、余裕がなくなってしまうようだ。
そして、自分らしく生きている実感もある。
自分らしくとは、我慢や無理がない状態で、自分がやりたいと思ったことがほぼすぐに行動できる自由だ。
さらにふと思い立ったことに素直に従うこと。
どちらも少し慣れるまでには、整理したり、練習が必要だが、本当になりたい自分になることは誰でもできる。
今日も快晴。
どこに出かけよう、何を計画しよう、と思っているうちにもうお昼を過ぎてしまった。
ただ、こんな縛られない日も大事。
私の休日はこれからだ。
サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!