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動き出した流れは止められない


仕事の手放しは、簡単ではない。
簡単なものもあったが、今回はちょっと大変なことがある。
それでも、日程表とチェックリストを作成して、淡々と進めている。

プリンターが動かなくなり、最終的にはサポートセンターのお世話になった。
この間の時間は勿体無かったけど、まあそんな日もある。
大事なことは、一つでもやるべきことが終わったかどうか、だ。

アルバムを整理していたら、すっかり忘れていた写真が出てきて、それらを眺めているうちに、懐かしさと思い出が交錯して、あっという間に時間が過ぎていくことがあるように、資料や自分が書いたものなどを見ていると、ふと元に戻りそうになる。
懐かしさを通り越して、「手放さなくてもいいんじゃないか」という気持ちが湧いてくる。

ただ、この「揺り戻し」は、今まで何度も経験していて、初めの頃は実際に戻ったりもしたのだが、今はこの揺り戻しにもすっかり慣れてしまった。

何より「動き出した流れ」の中にいるような気がしていて、その流れは川の流れと同じように、私が止めようと思っても止まらないのだ。
だから、揺り戻しが来ても、それは錯覚で実際には川の水を手で止めるような、無駄な抵抗に過ぎないと、今は知っている。

おそらく誰にでも、「流れの中にいた」経験があるだろう。
なんの迷いもなく、ただただ前を向いて、振り向いてももうその歩みを止めることができなかった経験が。
自分の意思なのか、どうかも定かでないけど、ただ歩き続けた経験が。

人間という存在の小ささを感じるのは、こんな時だ。
小さくて、大きいのだけど。

それでも、毎日は容赦なく過ぎていく。

春一番が吹いた今日は、春の嵐のような雨も降ったが、季節は正確に、順番通りに変わっていく。
その偉大な自然の中で人間は、生きさせてもらっているだけに過ぎない。

自然を人生に例えれば、自然に人間が逆らえないように、人生の流れにも、人間は逆らうことができないのは、当然なのかもしれない。


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