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きらきら − 秘密基地

その夏は僕にとって特別な夏になった

その場所は僕にとって特別な場所になった

その夏、その場所で、僕は特別な女の子に出会ったからだ


ジワジワとうるさい蝉の声

僕は駅前の道を小走りに、いつもの場所へと向かっていた

太陽から降りかかる光と、アスファルトから照り返してくる熱で

全身から汗が噴き出してくる

Tシャツがピッタリと体に貼りついていた

特にリュックを背負っている背中は、何か大きな獣をおんぶしているような感じがした

獣は家の棚から引っ張り出してきたポテトチップの袋とゲーム機をお腹に入れている

あと、学校で1学期の終わりに配られた日記帳と計算ドリル

一応友達の家で宿題をやって来るという理由で家を出たのだ

まぁ、もちろん、やらないけど

あんなものは、もっと後でも大丈夫

それより今、僕には行くべきところがある


使命感にかられて道を進んでいくと、

通りの向かい側を、同じクラスのヤマキが歩いているのを見つけて僕はあわてる

少し背を曲げてなるべく小さくなる

道行く大人達の影になるように、ソロリソロリと進む

見つかるな、見つかるな

努力の甲斐あって、ヤマキは僕に気付かずに通り過ぎた

遠ざかっていく背中を見送りながら、僕も再び小走りになる

ヤマキのやつ、タカダの家でゲームでもするんだろうな

くすくすと心の中で笑う

それも悪くないけどさ、ともかく今の僕には行くべきところがある


駅前の商店街を抜けて、マンションの建ち並ぶあたりに入る

クラスのやつらの家もこの辺に沢山ある

僕はまた少し小さくなり、警戒しながらすすむ

そして、シゲタとトモの家の間の細い道にスルリと入りこむ

ここが隠し通路だ

後ろを警戒しながら狭い道を進むと、その建物が現れる

コンクリートの壁をさらけだした、四角い灰色の建物

天井のあたりが崩れて大きな穴があいている

まわりには草がぼうぼうに生えている

この場所は、いつ来ても不思議な静けさが漂っているのだった

僕は四角い建物に近づき、半分より少し開いた状態のまま全然動かなくなっているドアをくぐった

「あ、ヨウスケ」

そこには既にシゲタが座り込んでゲームやお菓子を鞄から取り出して机に並べているところだった

机といっても段ボールだけど

シゲタは夏休みの間、毎日僕と遊んでいたはずなのに、なぜか真っ黒に日焼けしていた

毎年そうだ

特にどこかに行ったわけでもないのに、こいつだけ段々黒くなっていく

「ヨウスケ、今日食料は何持ってきた?」

シゲタにせかされて僕もリュックを下ろす

背中が軽くなって、風が通り、ヒヤっとする

リュックの中からポテトチップスの袋を取り出し、机に投げる

「コンソメ?」

「ううん、塩」

「なんだよー」

シゲタが不満そうに口を尖らせる

「文句言うなら食べるなよ」

僕がむっとして言い返すと、シゲタはちょっと慌てる

「やだよ。そりゃコンソメがよかったけどさぁ」

僕はリュックを放り出して、シゲタの隣に座り込んだ

足を投げ出して上を見上げる

崩れた天井の隙間から、空が覗いている

建物の中は外にくらべるとヒンヤリしていて、太ももの辺りから伝わるコンクリートの冷たさも気持ちいい

雲が、のんびりとその小さな空を横切っていく

隣で同じように天井を見上げていたシゲタが、僕の方を見てニヤリと笑った

「やっぱり、天井から空が見えるってのがいいよなぁ。外で見るのと何か違うよな」

僕はこっくりと頷いた

小さな空の天井を持つこの場所が、僕達のひみつきちだ。


僕とシゲタが空を見上げたり、ポテトチップの袋を開いてつまんだりしていると

半開きのドアからひょっこりと見慣れた顔が現れた

「あれ、もう二人ともいたのか」

トモだった

ひょろりと背の高いトモがドアの隙間から滑りこんでくる

肩掛けのスポーツバックを降ろして、やはり床に足を投げ出して座った

「ねえ、今日って8月20日だって知ってた?」

トモの突然の質問に僕らはピクリとする

「20日かぁ。あっという間だなぁ」

シゲタが少し悔しそうに言う

僕はリュックの中に入りっぱなしの日記帳と計算ドリルのことを思い出して、チクリとした

「9月なんて暑いんだから夏じゃん。まだ夏休みでもいいよなぁ」

シゲタは諦めきれない様子でブツブツ言っている

「そうだよな。ナットクいかないよな」

トモもしかめっ面をしながら、バックをたぐりよせて中からゲーム機を取り出した

その画面をシゲタがのぞきこむ

「城まで行った?いまどこ?」

「えーっとね」

僕もリュックからゲームを取り出す

「あ」

シゲタが不思議そうにこっちを見た

「ヨウスケ?どうしたの?」

「ソフト家に忘れてきちゃった」

「えー、なにやってんの」

「昨日の夜、兄ちゃんが別のゲームやっててさ」

そのまま、兄ちゃんのソフトだけ抜いて持って来てしまったのだ

もう一度リュックの中を探るけど、やっぱりない

僕は唇を噛んだ

「とってくるよ」

そのままリュックをつかんで、ひみつきちの外に飛び出す

太陽がまた僕の体を焼いた

さっきとは逆方向に街を走りながら、僕はさっきのトモの言葉を思い出す

今日はもう8月20日だって

あと10日で夏休みは終わっちゃう

計算ドリルなんか1ページもやってないし

日記は、花火に行った日に書いたけど、それ以外書いてないし

プールでもまだ遊び足りないし

そういえば父さんとの約束だった遊園地もまだ行ってないし

それに夏休みが終わったら、ひみつきちにも来るのは少なくなっちゃうだろうし

いやだなぁ

いやだ、いやだ!

全速力で走りながら僕は必死に追いかけようとした

夏休みおわるな!


「ん?」

僕の目に、なんだか見慣れないものが映った気がして、立ち止まる

振り返ってキョロキョロと見ていると、大人達が不思議そうに僕を見る

なにかが心に引っかかった

もう一度キョロキョロして、僕はそれを見つけた

商店街にポツンと置いてある緑色の公衆電話

僕は使っている人を見たことがない

僕もこんなところから電話をかける用事はないから使ったことはない

その、なんであるのかわからない公衆電話の前に、女の子が立っていた

受話器を左手で握り締め、右手で一生懸命ボタンをおしている

見たことのない女の子だった

肩にかかるまっすぐな黒髪

クルリとした大きな目

お花の飾りがついた、大きな麦わら帽子をかぶっている

黒と白のチェックのワンピース

白いフワフワの襟がついている

オレンジのサンダルにもお花の飾りがついていた

やっぱり見たことない

学校でもないし、今まで街でも見たことはない


女の子は受話器に向かって何か短い言葉を話しながら、コクコクと頷いている

そして、にっこりと笑ってから受話器を電話機に戻した

カタンと音がして電話が終わる

僕ははっとした

女の子がくるりとこちらに顔を向けたのだ

身長は僕と同じくらい

歳は…よくわからないけど、たぶん同じくらい

でも、やっぱり見覚えはない

僕が固まっていると、女の子はしばらく不思議そうな顔をしていたけど

やがて、にこっと笑った

「こんにちは」

聞いた事のない声だった

ジリジリと照りつける夏の太陽の下で、

汗だくになった体を時々ヒンヤリさせる風をなんとなく思い出した

「こ、こんにちは」

おかしな話し方になって後悔する

でも女の子は嬉しそうにニコニコ笑っている

僕は少しほっとした

「あ、えっと、どこから来たの?」

僕が聞くと女の子は駅前通りの果てをぴっと指さした

ひみつきちとは反対側。僕の家の方向だ。

「あっち。ずっと遠く」

やっぱり遠くから来たんだ、と思った

そんな感じがする

なにか、他の子とは違うのだ

だから走っていた僕も気付いた

「あなたは?」

「え?」

なぜか心臓がドキドキとはねあがる

「あなたは?お名前は?」

「ヨ、ヨウスケ。あの、君は?」

「わたしは、マヤ」

やっぱり聞いた事のない名前を僕は必死に飲み込んだ

マヤ

「どこに行くの?」

聞かれて思い出す

「家に…」

「帰るところなの?」

「ううん。家に忘れたゲームを取りに。それで、その後…」

僕は迷う

ひみつきちのことは僕ら3人だけの秘密なのだ

ヤマキにもタカダにも、母さんにも知られてはいけない

もしも約束を破ったらエイキュウに追放される

「お友達の家にいくの?」

「ううん。ええっと、その」

友達の家だということにしておけばよかった、と思ったときにはもう遅かった

僕の顔をのぞきこんでくるマヤに、心臓はますますはねあがっていた

「その、ひみつきちに、行くんだ」

「ひみつきち?」

マヤに聞き返されて、しまったと思う

言ってしまった。別に問い詰められたわけでもないけれど。

「ひみつきちがあるの?」

「うん、まあ。たいしたことないけど。でもすごいよ」

一度しゃべってしまうと止めることはできない

「おもちゃもあるし、机もあるし、食料もゲームもあるし、だけど一番すごいのはさ」

「うん」

「僕等のひみつきちには空があるんだ!」

「そら?」

「そう。僕等だけの空だよ」

「へぇ。すごい」

すごいと言われて、顔が熱くなるのを感じる。

ああ、でもどうしよう。言ってしまった。

追放されてしまう。

「空かぁ。すごいね。いいなぁ」

ドキリとする

マヤは本当にうらやましそうで、上に広がる青空を眺めている

ひみつきちから見えるあの不思議な空を見せたら喜ぶだろうな、と想像する

でも、そんなことはできない。その瞬間に僕はひみつきちから追放されてしまう

「あの、見たい?」

口は何故か僕の思う通りに動かない

マヤは目を輝かせる

「いいの?見たい!」

僕は頭をフル回転させた

まさか今更「だめ」と言えるわけない

でも連れて行ったら……シゲタとトモの怒った顔が目に浮かぶ

「……今は駄目かも。その、作戦会議中だからね」

「作戦会議?」

マヤはそれも楽しそうに聞いている

「だけど、そうだ!夜なら、夜なら大丈夫かもしれない。シゲタとトモもいなし」

名案だ。それに夜のひみつきちに忍びこむという作戦に、ワクワクしはじめていた

マヤと僕は夜にこっそりとこの公衆電話のところに集う約束をした

家を抜け出せるか不安だったけど、これは作戦なのだ

成功させなきゃいけない

その後、僕は家に帰ってゲームソフトを掴んでひみつきちに戻ったけど

心はずっと夜の秘密の作戦のことを考えていて

ゲームにもシゲタとトモの話にも全然集中できなかった

おかげで散々に負けたし、何度もシゲタにどつかれた

今夜の作戦はシゲタとトモにも悟られてはいけない


家に帰ってからも僕は上の空だったみたいで

晩御飯をポロポロこぼして母さんに怒られたり

兄ちゃんにゲームでまためちゃくちゃに負けたりした

お風呂にはいるとさっさと部屋のベッドにもぐりこんだ

そのまま父さんと母さんと兄ちゃんが眠るのを待つのだ

運動靴もこっそりと玄関から部屋に持ち込んでいた

ジリジリとした時間が過ぎて、ドアの向こうでテレビが消えた気配がする

心臓がどんどん大きな音で鳴る

慌てるな。まだだ。本当にみんなが寝てから

ぎゅっと目を閉じて、心の中でゆっくりと100数える

心臓の音が邪魔をして、何度か間違える

でもなんとか100数えて、僕はそろりとベットを抜けた

後は一瞬の事だ

急いで着替えて靴をはき、静かに窓をあけて外に飛び降りる

思った以上に大きな音がしてびっくりするが、

慌てず騒がず商店街に向けて走り出す


商店街にはかすかに明りの漏れている店もあるが、通りに人の気配はなかった

いつもと違う様子に、またドキドキしてきた

公衆電話の前に見覚えのあるワンピースの女の子が立っている

麦わら帽子をかぶっていない以外は、昼間と同じ格好のようだった

「おまたせ」

僕が声を掛けるとマヤはぱっと振り向いて、いたずらっぽく笑う

「こんばんは。作戦成功、だね」

二人でひっそりと街を抜け、いつもの道順をたどる

夜の道はいつもと全然違う道に思えた

後ろからついてくる少女の存在が、ますますいつもと違う場所にいるかのような気分にさせた

でも、ひみつきちはいつもと同じ場所にちゃんとあった

僕はそろりと建物に近づき、半開きのドアから様子を伺う

よし、誰もいない。あたりまえだけど。

「ようこそ、僕のひみつきちへ」

いいながら手で入るように合図する

マヤは少し緊張したようにドアから中に滑り込む

「まっくらだよ」

僕も後ろから入って思わず立ち止まる

明りが何もないひみつきちはまっくらだった

「きゃ」

前の方でマヤの声がする

「どうしたの?大丈夫?」

「うん、ちょっと躓いただけ」

「わ」

マヤに気を取られているうちに自分もすっ転んだ

感触からすると段ボールの机みたいだった

「大丈夫?」

逆にマヤに心配されて赤面する。まっくらでよかった

「危ないから動かない方がいいね」

「うん」

僕等は座り込んだまましばらくじっとしていた

かすかにマヤの気配が暗闇からも伝わってくる

いつもシゲタとトモと一緒に遊んでいるはずのこの場所が、全然違う場所に思えた

少しだけ、不安になる

同時にワクワクもする

今日は特別な日だ

「あ、みて」

マヤの声がして、僕は顔を声の方にむけた

するとそこには、さっきまで見えなかった彼女の顔が浮かんでいた

横顔が天井の方を見上げている

僕もその視線の先を追った

「あ」

いつも、青空が覗くあの天井から、うっすらと光がさしていた

月だ

三日月が空に浮かんでいるのだった

その光がかすかに、マヤの顔を照らしているのだ

マヤはただ空を見上げていた

その切り取られた空には星もキラキラと瞬いていた

数は多くない

でも、確かに光っている

いつもより小さいはずの空に僕は飲み込まれるような気持ちになった

「すごい」

少女の呟きが聞こえる

僕も黙って頷いた

去年の夏、田舎のおばあちゃんの家に行った時、星がたくさん輝いているのを見た

すごかった

母さんは「都会には星がないもんね」と言った

僕もそう思った

でも、違う

こんなにキラキラした空があるなんて

「ヨウスケくん」

マヤに呼ばれてはっとする

「つれてきてくれて、ありがと」

少女は空を見上げたままだった

「今日のこと、たぶん一生忘れないよ」

「…うん」

たぶん僕も、と心の中で思った

その後の夏休み、僕はやっぱりぼんやりしていて

シゲタにもトモにもすごく怒られた

母さんにももちろん怒られた

案の定、宿題は終わらなかった

日記なんか1ページも書けなかった

一番書きたいことは僕だけの秘密で、書くことはできないし

計算ドリルなんか手につかなかった

それでもやがて二学期が始まって、だんだん、だんだん、僕はいつもの僕に戻っていった

あの夜、ただ二人で星を眺めた後、公衆電話の前で「バイバイ」と手をふってから

マヤとは一度も会わなかった

街のどこにも彼女の姿はなかったし

名字も電話番号も知らなかった

でも、キラキラした空が何度も僕の中に浮かんできた

同時にマヤの横顔を思い出した

僕のキラキラした秘密

たぶん、一生忘れない


その夏は僕にとって特別な夏になった

その場所は僕にとって特別な場所になった

その夏、その場所で、僕は特別な女の子に出会ったからだ


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写真:えつこ
物語:まれ
音楽:ウエノアンコ

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