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明日は晴れ − 秘密基地

「ああ!どうして?こんな結末のために私はあなたと出会ったの?」

「それとも、いつか、わかる時がくるというの?」

「……これでよかったのだと!?」

勢いよく空に向かって問いかけるが、返事はない
もとから独白なのだから当たり前なのだが
それにしてもここには、その独白を聴く観客の姿もなかった

悲劇のヒロインは騎士の国の王女
自分をおいて戦場に旅立った恋人への想いが叫びとなる、迫真のシーン
…なのだが

王女の衣服は生地が薄くペラペラになった灰色のスーツだ
膝丈のスカートの裾は細かな皺がよってしまっている
髪は色が抜けて明るくなってしまった茶色のショートカット
毛先がクルンと丸まってはねている

ややツリ気味で明るい色の瞳の向うには
炎に包まれた戦場が見えているようだったが
彼女の足元には古びた段ボールが転がっている

「はぁ」

突然漏れた溜息は、妙に実感のこもった響きだった
王女は完全に姿を消し、ただスーツに身を包んだ女がぽつんと残っていた

スーツの彼女、ショウコは腕を上げ、大きく伸びをする

「うー、つっかれたなぁ」

腕を上げたまま左右にも体を伸ばす
次に肩のあたりに手をあてて、体をほぐす
そして段ボールの脇に放られている茶色い飾り気のない鞄を拾った
少し乱れた襟元を正し、彼女は出口に向かった

そこはコンクリートの壁がむき出しになった、今や何にも使われていない空間だ
よく見ると、あまり新しくはなさそうなおもちゃや、お菓子の袋
机のように使われたと思われる段ボール等が置かれている
角の壁が一か所壊れ、天井から空がのぞいている

すでにほとんど陽は落ちて、壁からのぞく空はグレーがかっていた

半開きのまま錆ついているドアを体を横にしてくぐると
スーツの埃を払い、外壁に停めてある自転車にまたがった
鞄を前かごに放り込み、両足で地面を蹴って自転車を進める
細い路地を抜けて、やや広い道にでるとペダルに足をのせ、自転車をこぎ出した

そしてショウコは、彼女のささやかなひみつの場所を後にした

たとえばお風呂の中とか
夕食の後片付けを終えたキッチンとか
そういう場所でこっそりと扉を開き、
彼女は、王女になり、科学者になり、スパイになり、病床の妻になり、恋する少女になった

しかし、いつもの会社からの帰り道
いつもは素通りしている路地になんとなく気をひかれ
自転車を進めた先に、あの場所があったのである
半開きのドアをくぐれば、「こっそり」する必要もなくなる
心おきなく、違う自分に没頭することが出来る場所

(わぁぁぁぁぁぁぁ!)

ある日、ショウコは心の中で叫び声を上げながらは自転車をこいでいた
路地を抜け、例の扉をくぐる
鞄を放り投げて、何を思ったのかそのままゴロンと自分も床に転がった
埃が舞い、少し咳込む
天井から空が見える
今日は青空だ

しばらくぽっかりとした天井を見上げていた
いつもと同じ空が覗いているだけのはずなのに
不思議と時間がゆっくり流れていくように感じられる
ショウコは目を閉じ、かすかな風の流れの感触を追った

目を開けるとガバっと跳ね起きる
深呼吸
頭の中に、ひっそりとした王城が広がる

「ああ!どうして?こんな結末のために私はあなたと出会ったの?」

「それとも、いつか、わかる時がくるというの?これで…」

ガチャン

大きな音が響き渡る

「……」

何の音かわからないが、ショウコの体は冷たくなった
一瞬遅れて汗が噴き出す
自分しかいないはずの場所で、音がする

音は彼女が背を向けているドアの方からしたようだった

ぎぎっと、固い動きで首を動かす
うすい明りが差し込む半開きのドア
そこに、黒い人影がある
逆光で顔は見えないが、誰かがそこに立っているのだった

ますます体温が下がっていく
まずいことに、出口はそのドア一つしなく、
走って逃げだす事も出来ないのだった

「うわぁぁぁぁぁん」

悲鳴なのか、泣き声なのかわからない声をあげて
ショウコはその場にしゃがみこむしかなかった

薄暗い空き倉庫、ひみつの場所の中
二十代と思われる女が隅の方でしゃがみこんでおり
同じ年頃の男が途方に暮れたように半開きのドアの傍らに立ちつくしていた

「うぅ」

女はしゃがみこんだまま、妙なうめき声のようなものを発しながら
顔を膝にうずめている

男は今更黙って去るタイミングも失ったのか
しばらくじっとその場に立っていたが、
やがてあきらめたようにドアから一歩、倉庫の中に進んだ

「えーと、ごめん…」

「うぅ」

ショウコはピクリと体を震わせる

「声がしたからなんとなく覗いちゃったんだけど」

「ひぅぅぅぅ」

「邪魔したよね」

「へぅう」

声を掛けられるたびに羞恥が湧き上がってきてしまう
ショウコはただただ自分が小さく縮んでそのまま消えてしまうことを願うしかなかった
だからといって、もちろんそんなことは起きない

男の方も一度声をかけた以上、なかなか立ち去れなくなってしまったようだった
奇声を発するだけの彼女にこれ以上かける言葉もみつからない
困惑したように、頭を掻いた

ふと、何かを思い出したように、男はドアをくぐり一瞬姿を消した
そして大きな黒いケースを抱えてもう一度ドアをくぐった

ケースをあけているらしい物音が倉庫にひびく

ショウコは不思議に思い、ようやく顔をあげて
もう一度入口の方を伺った

今度は男の姿をきちんと捉えることができた
自分と同じぐらいの歳、あるいは少し下かもしれない
色の薄いジーンズを履き、
ロゴの入った黒いTシャツの上に灰色のパーカーをはおっている
黒いケースから何かを取り出そうとしている

男に見覚えは無かったが
ケースとその中身には覚えがある
馴染みのあるシルエット

「……ギター?」

男は声に気付き顔を上げる
二人は初めて目を合わせた

ようやく言葉らしきものを発したショウコに
男は少しほっとしたような表情を見せたあと
今度は逆に照れるように顔をふせた
ギターをケースから引っ張り出しながら、もごもごと話す

「俺ね、たまにここにこいつ弾きに来るんだよね」

ケースの脇に座りこむと楽器を膝の上に構えて、軽く弦をはじく
ポロンと柔らかい音が零れる
何のメロディーでもなかったが、薄暗い倉庫がぱっと明るくなったような気がした

「あんまり音も気にしなくていいし、好きなだけ歌えるしね」

「今日もそのつもりだったんだけど、先客がいるとはね」

弦を弾きながら、ちょこちょことネジをまわす

「あのさ、盗み聞きしたお詫びに、俺も弾くから。歌うし」

「え?」

男はショウコの顔を見るとにやりと笑った

「おたがいさま、な」

そのまま右手で再び弦を弾く
今度ははっきりと曲になっていた
数小節の前奏の後、男の歌声が重なった

聞き覚えのある曲

正直ギターも歌もそれほど上手いというわけではない

でも、それが彼にとって大切な時間なのだということはわかった

ショウコはただポカンと男の顔を見上げていた


「つまり、仕事で失敗したってこと?」

「うーん、まあそんな感じ」

奇妙なリサイタルが終わった後、二人はいくつか話をした
男の名前はマコトといった

ショウコはポツポツと自分がこの場所で何をしていたのかを話していた

「大学の頃は演劇サークルにはいってたの

その頃の台本をひっぱりだしてね

自分であることを忘れられるし

嫌なことがあった日はとくにね

ささやかな楽しみだったんだけど、あー、でも、まさか人に聞かれちゃうなんて」

「ふーん」

マコトはポロポロと楽器の弦を弾きながらショウコの話を聞いていた

「でもさぁ」

ショウコが「え?」と男の方を見る

「せっかくやるなら、もっと幸せそうな役をやればいいのに

なにもそんな悲劇のヒロインをさ」

「そ、それは」

ショウコの顔が再び赤く染まる

「学生時代の憧れの役だったの!

オリジナル脚本で。悲劇のヒロインだけど。結構格好よくて!

でも私はもっと目立たない役で。それはそれで楽しかったけど。

憧れだったから……」

「なるほど」

「あーでも、やっぱり恥ずかしい…!」

男がクスリと笑った

「いいんじゃない?俺も似たようなもんだしね。

っていうか、人前で歌ったのも今日が初めてだしね」

「…そうなの?」

「そうだよ」

今度は女がクスリと笑った

「変なの」

「あのな…」

自然と、二人は顔を見合わせて笑った

「何回も何回も、あのヒロインのセリフをやったんだよね

ここでもだけど、家のお風呂とかでも

不思議なんだよ

その時によって、同じ役の同じセリフなのに、全然違う風に思えるの」

マコトはショウコの言葉について何か考えているようだったが何も言わない

「わかった!って思っても、次の日は全然違う気持ちに思えたりね」

「さっきのセリフは芝居の一部なんだよね?」

「?そうだけど」

やはり何かを考えながら、マコトが言った

「だったら、いつかはちゃんと舞台でできればいいね」

ショウコは目を丸くした

そしてそのまま少し考える

「……そう、だね」

ふと天井を見上げると、陽が落ちかけて
崩れた壁からはオレンジ色の光が差し込んでいた

ギターの音が届いてきた
マコトが先程とは別の曲を弾いているのだ
今度はショウコもすぐに曲を思い出せた

相変わらずうまいとは言えない歌声も聞こえてきたので
ショウコはそっと自分の声を重ねた

誰かとこんな風に歌ったことは今までなかった

その間に陽はどんどん西に傾いているらしく
空のオレンジが強くなっていく

ギターの最後の一音がポーンと響いた時
倉庫の中は柔らかな光で満たされていた

二人の髪や、マコトの抱えたギターも
光を反射してキラキラしている

ショウコは立ちあがって大きく伸びをした

「うーん、私って最高!!」

「なにそれ」

笑うマコトにショウコも笑顔で振り返る

「だって、私は誰にでもなれるけど、私は私しかいないもん!

悲劇のヒロインにもなれるし、新しい夢だってみれるし」

「ショウコってわりとゲンキンだね」

「そうかも」

「まあ、いいんじゃない」


マコトはギターをケースにしまいながら、
足元に落ちている古ぼけたキャラクターカードをみつけた
ここで遊ぶ子供がいたのだろう

まだ夕焼けを見上げているショウコの背中に声をかけた

「あたらしい夢をみるんなら」

「ん?」

「ここは、そのためのひみつきちかな」

オレンジ色の光の中で、ショウコはにっこりと笑った


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写真:えつこ
物語:まれ
音楽:ウエノアンコ


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