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「特別支援学校の開かれた学校づくり」Part2 Aさんも○○小学校の一員

植草学園大学発達教育学部 教授 佐川桂子

 前回Part1で、養護学校の義務制実施の頃のことを書きました。Part2では、交流教育について振り返ってみます。

1 昭和の時代の「交流」体験

 交流教育については、義務制実施前の学習指導要領にも、その機会を積極的に設けることが望ましいと述べられていましたが、義務制実施を契機に、障害のある子どもへの理解と認識を深める目的で、小中学校と養護学校との交流教育が推進されるようになりました。
 1982(昭和57)年に就職した養護学校では、その年から2年間、隣接する小学校が「心身障害児理解推進校」の指定を受けたことから、その協力校となりました。「心身障害児理解推進校」…今となってみれば、両者の間に大きな壁があることを感じる名称ですが、協力校に所属する身として「理解推進」の名のもとに、子ども同士が仲良くなることを無理強いするような取り組みにはしたくないと考えていました。共に活動する中で互いの存在を知ること、一人一人に違いがあって一人一人の良さがあることを感じ取ってほしいと思いました。
 交流の時間、一緒にホットケーキを焼いた時のことです。養護学校の子どもは、以前にもホットケーキを焼いたことがあり、その日も、手際よくホットプレートに生地を流していました。その様子を見た小学生の中に、自分が上手にできないことを上手にやっている!と、目を丸くしていた子がいたのです。「理解推進」って、理屈ではなくこういう直接的な体験から始まるのではないかと、とてもうれしかったことを覚えています。また、交流の在り方について考える時、養護学校の子どもたちは小中学生が障害について学ぶための「教材」ではない、ここはお互いの学びの場である、ということも強く意識するようになりました。

 その後、世界の動向として1994(平成6)年に「特別なニーズ教育に関する世界会議」で「サラマンカ宣言」が採択され、インクルーシブ教育の促進が打ち出されました。養護学校と近隣の小中学校等とが交流する「学校間交流」の他に、養護学校に在籍するお子さんがそれぞれ居住している地域の小中学校に赴き、その学校の子どもたちと活動を共にする「居住地校交流」も行われるようになりました。養護学校は、いくつかの市町村を合わせた地域ごとに設置されたので、学校所在地とは異なる市町村から通学するお子さんもたくさんいました。自分たちが住んでいる地域の友達との関係も大切にしたい、地域の一員として暮らしたいという本人や保護者の思いに向き合うべく、居住地校交流という形態が生まれたのではないかと思います。

2 平成の時代の「交流」体験

 2002(平成14)年度発行の冊子「千葉特殊教育」の110号に「地域での暮らしを支える」というタイトルで拙文を掲載していただき、その中で、居住地校交流の事例として、小学部2年のAさんを紹介しました。「Aさんは、地域の保育園で同世代の友だちと一緒に活動してきました。養護学校に入学しても、この関係を維持する機会がほしいという保護者の希望を受け、『居住地校交流』が実現しました。交流先の小学校にとっては初めての試みでしたが、小学校にとっても意義のあることとして、積極的に受け入れてくださいました。昨年度は、集会行事を中心に年間3回実施、今年度は、子ども同士がより直接的にかかわれるように、行事や教科の時間における交流に加えて、給食や昼休みの活動を共にできるような工夫をしながら取り組んでいます。これらの活動を通して得られた体験が、Aさん、居住地校児童双方の心に刻み込まれ、かけがえのないものとなっていくことを期待しています。」と書いています。
 この時の交流先の小学校の校長先生のお考えが先進的だったと今でも思います。全校集会で「Aさんもこの小学校の一員です。だから、この小学校の子どもの人数は、〇〇名+1名です。」とおっしゃってくださったのです。七夕飾りの短冊に書いた願い事にもAさんを含めた子どもの数が書かれていました。運動会では、特別にお客様扱いすることなく、同学年の列に並び種目に出場しました。
 この交流を行ったのは、特別支援教育制度がスタートする5年前。特殊教育から特別支援教育への移行期に、このように考えてくださる校長先生に出会えたことに感謝しています。

 その後2004(平成16)年の障害者基本法の改正により、交流及び共同学習を積極的に進め、相互理解を促進することが規定されました。2007(平成19)年には、特別な場で教育を行う「特殊教育」から、全ての学校において一人一人のニーズに応じた適切な指導及び必要な支援を行う「特別支援教育」への転換が図られました。そして、盲・聾・養護学校から名称が変わった特別支援学校の学習指導要領には「交流及び共同学習」を計画的組織的に行うことが位置づけられました。
 交流及び共同学習についての取組はさらに進んで、2012(平成 24)年に出された中央教育審議会初等中等教育分科会による「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」においては、「一部の自治体で実施している居住地校に副次的な籍を置くことについては、居住地域との結びつきを強め、居住地校との交流及び共同学習を推進する上で意義がある。」と、「副次的な籍」についての言及がありました。 

3 令和の時代に

 あらためてAさんの居住地校交流を振り返りますと、この報告の10年も前に交流校の校長先生が示してくださった「Aさんもこの小学校の一員」という考え方は、まさしく「副次的な籍」に一致するものだったと思います。もしかしたら、さらに進んでいて「多様な学びの場の中で、特別支援学校に副次的な籍を置いている〇小学校の児童」と考えてくださっていたのかもしれません。

 「副次的な籍」については、千葉県においても居住地校交流をより円滑に実施するために制度創設を検討するとの考え方が示されました。また、ICTの活用が飛躍的に進む中で交流及び共同学習の取組み内容も大きく進化しています。それぞれの学校がお互いに開かれた状況で、お子さんのニーズに柔軟に対応する交流及び共同学習を進めてほしいと思います。 (つづく)

緑に包まれた植草学園構内にある「共生の森」
学生さんと地域の方々の交流の場でもあります。
                                                                                    プロフィール(下記の「本学教員紹介」ページ)
                                        https://www.uekusa.ac.jp/university/dev_ed/dev_ed_spe/dev_ed_spe_047


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