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九キロは長すぎる(20)

「お二人には、感謝してもしきれません」
 僕と立花の向かいに座る水本玲奈が、微笑を浮かべながら言った。
「いやあ、ただ運が良かっただけだよ」
「そう、竹内の撮った写真のおかげだ。あれに全て集約される」
「だね」
 立花は笑って言う。「竹内さんには、何かちゃんとお礼しないと」

 木曜日の放課後、僕と立花は百三十四号線沿いのディグジーズで水本玲奈と会っていた。今日は部活はない。
 窓の外はまだ少し明るく、江ノ島が半分だけ覗いている。

 柏木瑠美が殺人の容疑で逮捕され、芹沢透が殺人幇助の容疑で再逮捕されてから、数日が経っていた。
 今、二人の容疑者は検察庁に送検され、身柄を勾留されている。ニュースでそのように報道されていた。

 立花がパンケーキを頬張りながら、「二人とも、全面的に容疑を認めてるみたいだね」と言う。
「はい。お二人がおっしゃった通り、車内の物的証拠とNシステムが決め手だったみたいです。あの二つが揃わなかったら逮捕は難しかっただろう、と刑事さんに教えてもらいました」

 犯人のみならず、犯行の手口も動機も、全て僕たちが推論した通りだった。
 それに、自分は絶対に捕まらないという柏木の過信が、このような結果を生み出したのだろう。
 もちろん、僕たちの運の良さもそうだが、最終的には柏木の詰めの甘さが敗因となった。そういうことだ。

「柏木は、姉に脅迫電話をかけていたことも認めているようです。柏木から押収したスマートフォンの発信履歴に、姉の電話番号がずらりと並んでいたらしくて」
 立花がパンケーキを咀嚼しながら、「柏木先生……じゃなくて柏木が脅迫者でなけりゃ、犯人にはなり得ないからね」と応じる。「ちなみに、お姉さんのスマホは?」
「あ、はい。奇跡的に、柏木の自宅で見つかったみたいです。どうして姉のスマートフォンを処分しなかったのか、その理由はわかりませんが、とにかく家族としては見つかってくれて嬉しい限りです」

 僕はコーヒーカップから口を離して、言った。「おそらくだけど、もしかしたら柏木は、芹沢とお姉さんが普段、どのようなやりとりをしていたのか気になったのかもしれない。それで、ロックの解除を試みようとしてたとか」
「あ、それはあるかもしれません」
 水本玲奈が肯定した。「二股かけられてたわけですから、確かに気になるものかもしれないですね」

 それから水本玲奈は姿勢を正し、僕たちを正面から見据える。「お二人とも、本当にありがとうございました」
 そう言って、深く頭を下げた。「お二人は、本当にわたしのヒーローですね。心から尊敬しています。警察でさえも見抜けなかった真相を、突き止めてくださいました。すごすぎます」
 立花が天然パーマの頭に手を当てて、軽く謙遜する。「いやあ、勝利の女神が微笑んでくれたおかげかな」
 僕は褒められることに慣れていないので、何も返答することなく、カップに口をつけた。

 実際、高校の教員二人が共謀して、一人の生徒を計画的に殺すなんて、普通の感覚ではあり得ない。
 だけど、あの二人は普通じゃなかった。異常だったのだ。

「それで、今日はどうしてもお二人にお渡ししたい物があって」
 水本玲奈はそう言って、通学カバンの中から二つの小ぶりな箱を出す。
 長方形の箱はどちらも、外国の新聞のようなデザインの包装紙でラッピングされている。
「これって……」
 立花が言いかけると、
「チョコレートです」
 水本玲奈が微笑んで答えた。「バレンタインは一日過ぎちゃいましたけど、お二人にはどうしてもお渡ししたかったんです。本来は、姉と一緒に作るはずでしたが……頑張って一人で作りました。受け取ってください」

「わあ、凄く嬉しいよ。ありがとう」
 立花が水本玲奈から手作りのチョコレートを受け取る。
 僕もありがとう、と礼を言って、それを受け取った。

「昨日、竹内さんから貰った義理チョコを含めると、僕たちこれで二つ目だね。あ、草野くんは椎名さんからも貰ったんだっけ?」
「ん……まあな」
 もちろん僕も立花も、姉から貰った分はカウントしていない。
「彼女さんですか?」
 僕は即刻、否定する。「ただのクラスメイトだよ」
「でもね、草野君くんが貰ったやつは紛れもなく本命だよ」
 立花は底意地の悪い笑みを浮かべ、水本玲奈に向かって囁く。
「あら」
 水本玲奈は口元で両手を合わせ、表情を緩める。「いいですね、そういうの。素敵です」
 なんだか……急に居心地が悪くなってきたぞ。

「草野くん、椎名さんからはどんな感じで渡されたの?」
「放課後に、普通に手渡しされたよ」
「それで、草野さんはなんて答えたんですか?」
「それも普通に、ありがとうって答えて、貰った」

 立花はゆらゆらと首を横に振り、「草野くん、やっぱりまずい。やっぱりそれはまずいよ」と言い出す。
「何がやっぱりまずいんだ?」
「君は椎名さんからの好意を自覚してる。その上で本命のチョコを受け取るのは、椎名さんに対して前向きな返答をしているようなものじゃないか」
「なんでそうなるんだ。飛躍しすぎだぞ、立花。普通に渡されたから、受け取っただけだ。断る方が失礼だろ」
「いえ、でも立花さんの言う通りだと思います。その方からの好意を自覚していて受け取ったのに、それで曖昧な態度をとるというのは、ちょっと失礼じゃないでしょうか?」
 水本玲奈が容赦のない指摘をしてくる。「誠実に向き合った方が絶対にいいと思います」

 真っ当な意見だ。反論の余地もない。
 だが、立花についてはわからない。立花が僕の本心に気づいていることは、数日前から気づいていた。
 もっと早くに気づいてもよかった気もするが、そこはまあ、これまで思考の大半が調査のことで占められていたから仕方ない、と自己弁護しておく。

 それでだ。立花が僕の本心に気づいているのなら、なぜやたらと椎名を推薦してくる? 
 その真意がわからなかった。

「草野さん?」
「ああ。貴重な意見、しっかりと参考にさせてもらうよ」
 僕がそう言うと、水本玲奈はにっこりと微笑んだ。笑うと、姉の水本小百合とどこか面影を感じさせることに、今更気がつく。
「草野くん、やっぱり椎名さんは君とお似合いだと思うぜ」
 しかし、僕は返事をしない。立花の真意を測りかねるからだ。
 これは、後で問い質す必要があるぞ。

 水本玲奈はティーカップを両手で包みながら、口を開いた。「柏木と芹沢が逮捕されて、真実が明るみになって、姉は報われた……なんて簡単には言えませんが、それでも、安心してるんじゃないでしょうか? きっと天国で、お二人に感謝してると思います。そんな気がするんです」
 立花が口元に微かな笑みを作る。「だといいな」
「同感だ」

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