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九キロは長すぎる(終)

 江ノ島入り口の交差点で、水本玲奈がすばな通りに入っていくのを見届けた後、僕と立花は片瀬東浜海水浴場を訪れていた。
 公衆トイレの前のコンクリートの階段に座り、穏やかな波の音を聞きながら、夕焼けに染まる相模湾を黙って見つめる。。風は無風だ。

 まもなく立花が、幾許いくばくかの沈黙を破った。「それで草野くん、話ってなんだい?」
「僕の本心、気づいてるんだろ?」
 僕が核心を突いた質問で返すと、今まで海の方向を向いていた立花が、素早くこちらに顔を振り向かせた。何度もギョロ目を瞬きさせている。
「その反応は、当たりみたいだな」

 立花は苦笑し、観念したように首を横に振った。「全く、侮れないね。草野くんは」
 どっちがだよ、と心の中でつぶやく。
「ああ、ずっと前から気づいてたよ。……草野くんが、水本小百合さんのことを好きだってことぐらい」

 僕は深く吐息をついた。
 椎名に心が揺れなかった単純すぎるほど明快な理由——それは僕が水本小百合に好意を寄せていたからだ。
 水本が亡くなってからも、その想いは持続していた。哀れにも。

「やっぱりな。洞察力の鋭い立花が、むしろ見抜けないはずがなかったんだ」
「買い被らないでくれよ。洞察力ってほどのものでもないさ」
 立花が快活に答える。「それにしても、なんで僕が気づいてるってことに、気づいたんだ?」
「教室の席だ。立花、以前お前は、『自分が一番後ろの席だからわかる。椎名が僕に気があるのは、隣の席の僕への態度で一目瞭然だ』と言ったな」
「なるほどね。……そういうことか」
 さすが立花。これだけでもう察したか。

「まあ、お前はもうわかったようだが、一応続けよう。——僕の隣である椎名の席は、水本の真後ろだ。要するに、僕から見て水本は、斜め前の席になる。それなら、椎名ほどあからさまではないにしても、ちょっとした水本への視線とかに表れていたんだろうな。……まあ、自分では意識していないつもりだったが。
 すると、だ。だとするなら、僕の水本に対する気持ちに、一番後ろの席の立花が気づかないはずがない。鋭い洞察力を持ったお前に、最初から隠し通せるはずがなかったんだ」
 立花は天然パーマの頭を掻きながら、「恐れ入ったよ、草野くん」と言う。「君は水本さんに対する気持ちを隠していて、僕もそのことに気づいていたけど同じく隠していた。だけど君は、それを見抜いてしまうなんてね。いやあ、やっぱり草野くんだけは侮れないね」

 僕は視線を外し、「お互いを褒め合うのは、きまりが悪くなるだけだからよそう」と抑揚のない声で言った。
 岸に寄っては、沖に戻っていく周期的な波の動きを視界に入れながら、僕は慎重に訊く。「それでやっぱり、僕を調査に誘ったのは……」
「まあ、大きな理由の一つではあるよ」
 立花は平然と答えた。「調査に誘った時に言ったこと、覚えてる? 『草野くんも本当は知りたいんじゃないのか?』って僕は訊いたね。その質問をした理由は、草野くんが、水本さんのクラスメイトだからでも新聞部員だからでもない。草野くんが、水本さんのことを好きだから、どうして水本さんが死んでしまったのか、本気で知りたそうにしてたから。だから、そう訊いたんだ」

 やっぱり、立花豊という男こそ侮れないじゃないか。
 僕の本心をいとも簡単に見透かし、僕の本心に忠実に沿った提案をする。
 もはや、こいつの前では嘘はつけないな。

「——そうなるとやっぱりわからないのは、僕の気持ちを知りながら、何かと椎名を推薦してくることだ。……その真意を、教えてもらってもいいか?」
「そうだな……」
 立花はどこか思い詰めたように、夕焼けの空を仰ぐ。「草野くんが、見ていられなかったんだ」
「見ていられない?」
「ああ。草野くんは言葉には出さずとも、辛そうだった。水本さんのことを引きずっているのは明らかだった。……言い方は悪いかもしれないけど、死んだ人に固執する草野くんがどうしても見ていられなかった。もっと生きている人に目を向けてほしかった。だから、君のことが好きな椎名さんの存在は、好都合だと思ったんだ。それが真意だよ」

「つまり、調査に誘ったのも、椎名を推薦するのも、僕のためを思ってのことか……?」
「やめてくれよ。僕らほど、マブダチという言葉が似合わない高校生はいないと思うぜ」
 その言葉自体がすでに死語だろう、と僕は心の中で指摘する。

 向こうの江ノ島の街明かりを眺めながら、「まあ、感謝はしてるよ」と僕は言った。「お前が誘ってくれなかったら、今頃事件は解決してなかっただろうし」
 立花が皮肉な笑みを浮かべ、「なんだい、それは? 自画自賛か?」と訊く。
 僕も笑みをこぼし、「照れ隠しだ」と答える。

 ふと小動岬の方向に視線をやると、「草野くんはどう思ってる?」と立花は訊いた。「調査を始める前と後では、水本さんに対する気持ちに変化はあった?」
「……正直、芹沢と付き合ってるってわかった時は、かなりショックだったし、気持ち悪いとさえ思った。学校の教師と生徒が、なんて。
 だけど、水本が抱えている秘密やトラブルを知っていく中で、水本がとてつもなく強い人間だということを知った。多分僕は、水本のそういう意志の強さに、無意識に惹かれたんだと思う。自分でも馬鹿だとは思ってる。非論理的だとも理解してる。だけど——この気持ちに折り合いをつけるのは、まだ少し、時間がかかりそうなんだ」
「わかった。……もちろん草野くんのペースで、ゆっくり歩いていけばいいさ」

 少しの間を置いて、僕は口を開いた。「水本は、前に進もうとしていた。『九キロは長すぎる』って思っても、前に進もうと足掻いていた。だけどあの二人は、これから続いていくはずだった水本の長い道のりを、断ち切ったんだ。何があっても、絶対に許しちゃいけない」
「ああ……許しちゃいけない」

 僕は立花に顔を向けた。「立花」
「なんだい?」
「今回の調査に関わっていなかったら、僕は水本のことを『想いを寄せていたクラスメイト』の一人として認識したまま、いつかは時の流れと共に忘れていってたかもしれない。だから、その、礼を言わせてくれ。……ありがとう」

 立花はギョロ目を見開き、僕の顔を凝視する。「おいおい。そんなの全然、草野くんらしくないじゃないか。今夜にでも大雪が降るんじゃないか?」
 僕はそっぽを向いた。「言ってろ」

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