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博物館で初めて本物のミイラを見た話

 先月の最終日、博物館で開催されているミイラ展に行ってきた。

 何でも、世界中から42体のミイラが地元の博物館に集まるらしいということは、前々から告知で知っていた。

 通っている大学から自転車で数分の距離だし、良い機会だと思い、本物のミイラを実際に見に行くことにしたのだ。

 そもそも僕は、先月に投稿した『桜の夜風』という短編小説で、主人公とその友達が地元の博物館のミイラ展に行く約束をするというシーンを、事前にラストの部分に書いていたのだ。

(これがその作品。最後の一文でちょっとしたサプライズがあるので、気が向いたら読んでみてください)

 そのシーンを考えつくきっかけになったのは、博物館でミイラ展が現実に開催されているという事実が、自分の身近にあったからに他ならない。

 作品内でそういう会話を書いたのだから、自分が行かなくてどうするんだと思い、その作品を投稿した次の日に僕は実際に行くことに決めたのだ。
(言ってしまえば、自分の作品に自分の行動を決められた形だ)

 そして翌日、当の博物館に足を運び、僕は本物のミイラとガラス越しに邂逅した。

 やはり印象的だったのは、古代エジプトのミイラや大きな棺だった。
他にも南米やヨーロッパで発掘された数々のミイラが展示されていたが、エジプトで発掘されたミイラは他の国々よりも一回りも大きく、保存状態も良かった。

 実際に初めて本物のミイラを目の前にすると、想像通り、どこか神秘的な迫力がそこには確かに備わっているような気がした。

 しかし僕が最も印象的に思ったのは、意外にも日本のミイラだった。
それは今から数百年前の江戸時代(具体的な年数は忘れた)の本草学者のミイラなのだが、僕はそのミイラを最も長い時間見ていた。

 僕がそれに長い間注視していた理由には、そのミイラがミイラになった奇妙な経緯とその結果にある。

 そのミイラになった本草学者は、自身がミイラになることを計画して、自死を遂げていたのだ。
そしてその計画は成功し、現実にミイラとなっている。

 この経緯にも衝撃的だが、彼が意図的にミイラになったからこそ、数百年の時を超えて現代の博物館に展示されているという事実に、僕は奇妙な感覚を憶えた。
過去と現代が一つの空間に同居しているような、一瞬だけそんな不思議な錯覚がしたのだ。

 そしてその本草学者は、自死という通常ならば悲劇的な選択をしたものの、結果的に自分の存在を数百年後の未来に知らしめることができたのだ。

 これは壮大で驚くべき事実だ。
間違いなく、その時代のどんなに高尚で著名な人物よりも、立体的な存在証明に成功している。

 もしかするとミイラというのは、一瞬だけ過去と現代を繋ぐ鍵のような存在なのかもしれない。








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