ユウヒ飲料の自動販売機【ショートショート】
自動販売機の扉を開けると、その向こうには『昭和40年代の世界』が広がっていた。
* * *
本日9台目になる自動販売機の飲料を補充し、集金を終えた俺は、トラックに乗り込み、車を発進させた。
車内のラジオからは、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』が流れている。
時刻は午後1時半過ぎ。道は空いていて、もう5回は信号に捕まっていない。
俺は自然と『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のサビを口ずさんでいた。
この仕事を始めてから、今年で4年目になる。
主な仕事内容は、トラックに積載した飲料を自動販売機や小売店に補充し、集金すること。
俺が勤めているのはユウヒ飲料。日本人なら誰もが知っている大手飲料メーカーだ。
主力商品は『サンセットサイダー』や『トワイライトソーダ』。
どちらも戦前から発売されているロングセラー商品だ。
連日のようにコマーシャルが放送されていて、若手の女優が出演するのが恒例になっている。
しかし俺自身、非正規雇用で賃金は安いため、そろそろ転職という選択肢が頭の片隅に浮かんでもいた。
ユウヒ飲料の自動販売機は、オレンジの外観に『Yuhi』と白いロゴが入っているのが特徴だ。
次の自動販売機は、ビル街の路地に設置されてある。
俺は付近にトラックを駐め、車から降りた。
荷台から『サンセットサイダー』と『トワイライトソーダ』の段ボール箱を搬出し、手押し車に載せて自動販売機まで運んだ。
鍵を開けて、自動販売機の扉を開くと、その向こうに『昭和40年代の世界』が広がっていた。
しばらく俺は放心状態だった。
扉の向こうにあるのは飲料投入口ではなく、昭和40年代の夜の空間。
眩いネオンサインが夜の闇に浮かんでいる。
ディスコ、クラブ、バー、スナック、飲み屋、喫茶店、劇場といった電飾看板や色鮮やかな企業の広告塔。
道路の真ん中を路面電車が走り、車は渋滞し、タクシーは列を成している。各地から延々とクラクションが飛び交っている。
辺りを行き交うサラリーマンからは、愉快な笑い声が聞こえる。
以前、同僚からある噂を聞いたことがあった。
ユウヒ飲料の自動販売機は扉を開けると、ごく稀に『昭和40年代の世界』と繋がることがあると。
だが俺はその話を聞いた時、ただの取るに足らない噂話として聞き流していた。
何の信頼性もない都市伝説の類いだろうと。
しかし今、実際に俺の目の前には昭和40年代の夜が広がっている。
噂は本当だったのだ。
扉の先には、高度経済成長時代の日本が存在している。
俺はその光景を、呆然と見つめている他なかった。
敗戦からたったの20数年でアメリカに次ぐ経済大国に成長し、毎日が明るく、未来は希望に満ちていた時代。
今とは比べ物にならない程、扉の向こうの世界は輝いて見えた。
俺は自然と、扉の向こうに片足を踏み入れた。
一度この先に進めば、二度と戻ることはできないと本能で理解できた。
だけど俺はもう、足を止めることはできなかった。
この暗い現実から逃避して、明るい時代を生きてみたい。
そして俺は昭和40年代の世界に飛び込んだ。
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