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『君の夢を見る』(短編小説)

(あらすじ) 彼がやってくる日、私は必ず彼の夢を見た。別れて三年たったある日、私は久しぶりに彼の夢を見る。彼がやってくる。だが、今の私には夫も子供もいる……失われた愛の物語。


 夢の中に、以前つきあっていた彼が出てくるようになった。それは彼が私に会いたがっている証拠だった。

 普通に考えたら、私の方が彼に会いたいから、夢を見るように思えるのだが、そうではなかった。なぜだか彼が会いたいと思うときに限って、私の夢の中に彼が出てくるのだ。

 出てくるときの夢はいつも決まっていた。私がどこかわからない街を歩いていると、街角に彼が立っている。私は偶然の出会いに驚いているのだが、彼はちっとも驚いていない。それどころか、来るのが遅い、と言って私が遅れてきたことを怒る。そして約束もしていない待ち合わせに遅れてきたことを、私は一生懸命わびるのだった。

 大抵このような夢を見た日には、彼がやってくる。はじめは偶然だと思っていたが、あまりにも頻繁に同じことが起こるので、すっかり信じるようになってしまった。ただし、これは彼だけに限られた現象だった。私は彼とつき合うまでに三人ほど恋人と呼べる人がいたのだが、彼らの夢を見ることはなかった。彼だけが夢に出てくるのだ。

 私を探し出して、きっと現れるに違いない。きっとそうだ。彼ならやりかねない。私は不安に思った。

 彼とは別れてもう三年になる。その間に私は結婚して子供もいる身だった。もうこれ以上、彼に泣かされたくはなかったし、今の幸せを壊したくもなかった。

 彼とは四年もの間つきあった。私の二十代の思い出は彼とのものだと言い切ってもいいくらいだ。彼はテレビ番組の制作会社のディレクターをしていて、たまたま番組のロケに来ていたサイパンで知り合った。簡単にいうとナンパだ。私は都内にある損保会社のOLで、友人と一緒に観光旅行に来ていたのだ。そのときはレストランで一緒にビールを飲んでメールアドレスを交換しただけだった。まさかそれから四年間も彼とつき合うとはそのときは思ってもみなかった。

 彼は一般的にいうハンサムではなかったが、いい面構えをしている男だった。それはたぶん彼の生き方から出ているものだろうと思う。自分の気持ちに率直で、頭で考えるよりも心で感じるタイプの男だったからだ。仕事でも失敗をすることが多いようだが、それも経験として飲み込むタフさを、肉体的にも精神的にも持っていた。何事にも慎重で、考えすぎて行動できない私とは正反対の性格だった。

 つき合っている間、私は彼に振りまわされてばっかりだった。だいたい彼は予定をたてるということができない。仕事の都合もあるのだろうが、突然なんの連絡もなく私のマンションにやってくるのだ。もちろん私は例の夢を見ているので、彼がやって来ることは予想している。だた平日の夜中、午前三時に寿司の折り詰めをもってやってくるとは予想していない。

 彼は部屋に入ってくると、目を輝かせながら持ってきた寿司を食べろと言うのだ。夜中の三時に突然起こされて、いくら高級なお寿司だろうと食べる気にはなれない。それでも彼の目の輝きが尋常ではないので、私が仕方なくお寿司を食べると、彼が今日あったことを話してくれる。

 どうやら会社の上司に西麻布の寿司屋に連れて行ってもらったらしい。それは芸能人が通うような一見の客がお断りの高級店だった。

 彼はその寿司を一口食べると大声をあげながらウォンウォンと泣いたそうだ。びっくりした上司が彼に訊ねると、あまりにも美味しすぎて、彼は悲しくなって泣いた、と言う。そしてそれっきり彼は寿司を食べようとはしなかった。すると上司は、美味しい物を食べて悲しくなる必要はないじゃないか、と諭し、残りを食べるようにすすめた。もちろん彼もそれはわかっている。だが、悲しくなったのは、愛する人にこの寿司を食べさせることができないからだと言うではないか、そして自分一人でこんな美味しい物は食べるのは嫌だ、とだだをこねた。上司は半分呆れながら、折り詰めを持たして帰してくれたそうだ。

 そのような話を聞いた後では、まさか食べ残すことはできない。私は無理矢理眠い眼をこすりながら、そのお寿司を食べ終えた。

 他にもある。ある朝、会社に行くために支度をしていると、彼が車でやってきて、今から旅行に行こう、と言う。もちろんこのときも彼の夢を見ていたので、そろそろやって来るとは思っていたが、まさかいきなり海外旅行へ行くとは思っていない。おまけに彼はすでにスペインまでの飛行機のチケットを買ってしまっているのだ。もっと早く言ってくれば準備ができたのに、と私が言うと、彼は、三時間前に思いついてネットで買ったと言うではないか。彼は給料もそんなに良くないのに、一人三十万もする往復の航空券を二枚買っていたのだ。

 もうめちゃくちゃである。仕方なく私は突然身内に不幸があったと言って会社に五日間ほどの休みをもらって、彼と一緒に旅行に行くことになった。彼が私を連れて行ったのは、イビサ島というスペインのバルセロナから乗りついで一時間ほどの観光地だった。仕事をさぼってきているので日焼けはまずい。私は、せっかくの美しいビーチでも長袖長ズボンにサングラスをし、絶対に日傘を手放さなかった。だが、彼はビーチで日焼けすることが望みではなかったのだ。彼は、このイビサで私に見せたいものがあった。

 私は、車に乗せられて、一時間ほど行った入り江に連れてこられた。彼は時計を見つめると、水平線に沈んでいく途中の太陽を見つめた。私は、てっきりここで日没を見るのだとおもっていたら、急速に太陽が黒く陰っていった。それは日食だったのだ。たまたま仕事先で話を聞いたらしい。そうしたらどうしても私と一緒にこの日食を見たくなってしまったそうだ。

 太陽が月と重なる途中で、まるでダイヤの指輪のように輝く。彼は涙をボトボトとこぼしながら日食を見つめて言った。

「本当に美しいものって、どうしてこんなに悲しいんだろう」

 どれだけロマンチックかと思うのだが、日本へ帰ってくると、彼はお金がほとんどなく、私に借金をすることになった。もちろんそのお金は今でも返ってきていない。

 それに、これだけの愛情を私に見せながらも、裏では浮気をしていたのだ。もともと後先を考えて行動するのは苦手だった彼は、気に入った女の子がいると、その気持ちをおさえることができないのだ。浮気が発覚するのは、その彼女たちから、彼と別れてほしい、との連絡が私にあるからだった。

 もちろん浮気されたことがショックで、私は彼と別れる決意をする。だが、二、三日もすると彼が夢に出てくるのだ。そして、実際に彼が私のマンションにやってきて土下座することになる。そして、金輪際浮気はしないから許してほしい、と言って泣くのだ。私は彼の姿に半分呆れて許すことになってしまう。

 どうして、彼の浮気を許してしまうのか、私にもわからなかった。彼にはそれだけの魅力があったのかどうか、自分でもわからない。わからなかったのは、それだけじゃない。彼が浮気する相手は、大抵がタレントの卵やモデルたちで、どう見ても私よりも魅力的な女たちだったからだ。中にはテレビで見るような有名な女優もいた。彼が私のどこが好きでつき合っているのかも、私にはわからなかった。

 そんな彼がある日、好きな人が出来たから別れてくれ、と言い出したのだ。私は彼の言葉をいい加減な気持ちで聞いて取り合わなかった。きっとまた一週間もすれば謝りにやってくるのだと思っていたからだ。だが、その日以来、私は彼の夢を見ることがなくなった。もちろん彼も私のところへはやってこなかった。

 彼に好きな人ができたのは本当だったのだ。私は彼が好きになった人が気になったが、実際に会おうとは思わなかった。会ったところで何か彼との関係が変わるとは思えなかったからだ。意外だったのは、彼を失って、私がひどく落ち込んだことだ。私は突然、夜中に起こされることもなくなったし、突然、海外旅行に行くこともなくなった生活に、どこか物足りなさを感じていた。今までの自分に戻っただけだと言うのに、彼のいない生活に耐えられなくなっていた。

 私は会社を辞め、貯めていたお金をはたいてアメリカのシアトルに語学留学をすることにした。特に何か目的があったわけではない。どこか別の場所へ行って彼のことを忘れたかっただけだ。そこで今の主人と出会った。主人は日本人で、コンピューターのプログラマーだった。主人は女の子とつき合ったことがないようで、まじめで面白味は欠けたが、夜中に訪ねてくることも、突然海外旅行に行くこともない、すべてが計画通りに進むような人だった。元彼のこともあって、私は計画通りに進む主人といることに安心感を覚えた。だから、プロポーズされるとすぐに結婚を承諾した。もちろん主人は、私の夢には絶対に出てこなかった。主人が日本の会社にヘッドハンティングされると、一緒に帰国し、そのあと子供をひとり授かったのだ。

 もう彼のことはすっかり忘れていたと言ってもいい。だが、また彼が夢に出てくるようになった。
 彼の夢を見るようになって、もう一週間がたとうとしていた。彼は実際には現れないが、夢に出てくることは続いていた。彼が私に会いたがっていることは確かだった。だが、今更会ったところで彼と私の間に何が始まるというのだろうか。それどころか始まってはいけない関係だった。

 二週間ほど彼の夢を見続けると、彼が現れないことが不思議に思えてきた。もしかして彼は私を見つけだすことができないでいるのかもしれない。ふたりには共通の友人もいなかったし、住所どころか、携帯もメールのアドレスも私は変えてしまっていたのだ。会社も変わってしまったし、彼は私の実家の連絡先も知らないはずだった。

 それでよかったのだと思った。もう彼には会いたくない。私の幸せな結婚生活を壊してほしくなかったからだ。

 三週間も彼の夢を見続けると、眠ることが怖くなってきた。眠ると彼が出てくるからだ。

 なぜ彼は会いにこないのだろうか。もしかして私を試しているのではないだろうか、とも思った。私をさんざんジラして、突然登場するのかもしれない。いや、そんな策を練るような人間ではないことを、私が一番知っていた。ならば、なぜ、彼は私に会いに来ないのだろうか、私にはまったく理解できなかった。今までの彼ならば、どんなことがあっても三日以内には会いに来たはずだ。

 四週間がたった。私は夜眠ることができず、昼間うとうとすることが多くなった。それでも私は夢を見た。もう苦しくて気が狂いそうだった。気がつくと私は玄関から飛び出していた。だが、開いた扉から大きな声で娘が泣いているのが聞こえて、我に返った。

 私は部屋に戻ると、小さなベッドに眠っている生後三ヶ月の娘を抱き上げた。すると急に胸が苦しくなって涙があふれてきた。気が付くと、娘の顔が私の涙でぐっしょりと濡れていた。私は、「ごめんね、ごめんね」とつぶやきながら、娘の顔を拭った。

 すると、その日を境に、ぴったりと彼の夢を見ないようになった。ついに彼は私に会うことを諦めたに違いない。彼は私の居場所を見つけ出せなかったのだと思った。そして、これでよかったのだ、と。

 その後は、本当に彼の夢を見ることもなかった。もうすべて終わったことだった。それも三年前に終わっていることなのだ。

 だが、それは終わりではなかった。
 彼の夢を見なくなってから二ヶ月が経った頃、ある人が訪ねてきたのだ。それは女性だった。

 風が強いので、私は二階のベランダに干している洗濯物を取り込もうとしていた。すると門の前に見慣れない女性が立った。髪が長くてすらっとした姿は、今まで見たこともない女性だ。はじめは何かのセールスか、それとも宗教の勧誘かと思った。だが、彼女の姿を見ているとそれのどれにも当てはまらないように感じた。彼女は、呼び鈴を押そうか、どうか迷っているようだった。一度は、押そうとして、玄関から離れるのだが、しばらくするとまた戻ってきて、また呼び鈴を押したらいいのかどうか迷っている。

 私は、そっとベランダから彼女のことを伺っていた。すると突風が吹いて、洗濯物を飛ばした。飛んだのは娘の産着だった。

「あっ」と声を上げると、玄関の前に立つ彼女がベランダを見上げた。私は彼女と目が合った。その彼女の顔にはどこか見覚えのある感じがした。だだ、それがどこで見たのかはわからない。

 仕方なく私は、階下へ降りていき、玄関のドアを開けた。
「何か?」
 私がそう言うと、女性は軽く微笑むと、迷っていたことにけりがついたのか、私の名前を呼んだ。
「そうですが…」

 私が応えると、次に女性はつきあっていた彼の名前を言った。私は、やはり彼がやってきたのだと思った。
 リビングに彼女を通した。今、彼がつき合っている彼女だろうか。それとも奥さんなのだろうか。この人が、私が別れるきっかけになった人なのだろうか。どうして彼は来ないのか。私は、彼が彼女の元から逃げ出したのではないかと考えた。

「彼とはもう何も関係ないんです。どこでどう私のことを聞いたのか知りませんが、私は彼とは実際には会っていません」と私は言った。
「実際には?」
 彼女は、その言葉だけを捕まえて、顔色を変えた。
「実際には、ってどういうことですか?」
「それは・・・・・・ええ、と・・・・・・」

 私はどう話していいのか、わからなかった。まさか、彼が会いたいと思うと、私の夢に出てくるのだとは言えない。そんなことを他人が信じられるわけがないからだ。

「夢に出てきたんじゃないですか」
 そう彼女が言ったので、私の方が驚いてしまった。
「彼から聞いたんですか。でも、私の責任じゃありませんよ。私は彼に会ってもいないし、会いたいとも思っていません」
「・・・・・・ええ、わかっています」

 彼女はうれしそうに微笑んだ。私にはさっぱり何のことだかわからなかった。いったいこの女は私のところへ何をしに来たのだろうか。
「やっぱりあの子が会いたいと思っていたのは、あなたなんですね」
「どういうことですか?」
「私、あの子の姉です」
「お姉さん・・・・・・ですか」
 私は、彼女の顔をまじまじと見つめた。彼女の目は、彼の目と同じ淡いグレーだったことに気が付いた。どうりでどこかで見たことがあると思ったはずだ。

「あの子、六月十五日に亡くなりました」
「え?」
 彼が亡くなった。突然そんなことを言われても、はいそうですか、と納得するわけがない。

「どういうことですか?」
「ずっと長い間、闘病していたの」
 ますます話がわからなくなってしまった。私は途方にくれるばかりだった。

「あの子、あなたと別れるときに、なんて言ったんですか?」
「好きな人ができたって」
「嘘だったんです。本当は、胃ガンの宣告を受けたの。それもステージ4で治る見込みの薄い診断で、あの子、きっとあなたに闘病生活を一緒にさせたくなかったんでしょうね」
「そんな・・・・・・私は、別の人を好きになったとばかり・・・・・・」
「あの子、いろんな場所にガンが転移しながら三年も生きたんですよ。私はもしかしたら完治するかもしれないって思ったくらいです。でも、ダメだった・・・・・・」

 私は、彼がもうこの世にはいないことが実感できなかった。
「亡くなる間際に、あの子からあなたのことを伺ったの。自分は、いつも思いつきで動いてきたから、誰ともうまくいかなかったけど、ひとりだけ、自分がやって来るのがわかる子がいたって言うの。その子はいつも俺が来る前に、俺の夢を見るんだ、て」
「そんなこと、信じられないですよね」
 と私は言ったが、彼のお姉さんは微笑むばかりだった。

「私が、その彼女に会いたいの、てあの子に訊ねたら、ノー、て言うの」
「・・・・・・」
「彼女に会いたいと思ったら、夢に出て、バレてしまうから、て」
「・・・・・・」
「でも亡くなる間際の一ヶ月はダメだったみたい。モルヒネを打っていたこともあって、きっとあなたの夢に、俺は出ているじゃないか、と言ってたわ」

 その通りだった。死ぬ間際まで毎日私の夢に彼は登場していたのだ。
 そのとき、生後半年の娘が、むずがって泣き出した。私は、急いで娘のところに行って抱き上げた。

「可愛いいわね。抱かしてもらっていいかしら」と彼のお姉さんが言った。
「もちろんですよ。どうぞ」
 私は娘を渡した。娘が嫌がるんじゃないかと思ったが、そんなこともなく、彼のお姉さんの腕の中ですやすやと眠ってしまった。そのとき、私は今まで考えもしなかったことを口にした。
「この子は、彼と別れなかったら、生まれて来なかったんですね」
 私が彼の闘病に付き添っていたならば、主人と結婚することもなかったし、この娘は誕生してもいない。

 彼のお姉さんは、娘の顔をじっと見つめると、ゆっくりとうなずいた。
「いつでも好きなときに、この子に会いにきてください」と私は言った。
「ええ」と言って彼のお姉さんは、私の方へそっと優しく丁寧に娘を渡した。そのとき、もう二度と彼女はここへ来ないのだろうと感じた。

「そろそろ行くわ」
 と言いながらも彼のお姉さんはなかなか立ち上がろうとしなかった。もう一度、行くわ、と言うとやっと玄関に向かった。彼女はまだ何か言い足りないが、それを話してはいけないと思っているようだった。

「私は大丈夫です。もしよかったら、すべて話していってください」
 私がそう言うと、彼のお姉さんは、玄関で振り向いた。
「あの子ね。亡くなる直前に、見たって言ったの・・・・・・夢を・・・・・・あなたの夢を」
「・・・・・・」
「どこか知らない街を、あの子が歩いていると、あなたが待っているの。そして、どうして早く来ないのかって怒るんだって、あなたが。すると、あの子は遅れてきたことを謝ったそうよ」

 彼のお姉さんは、そう言うと私の顔を見ることなく去っていった。そのとき開いた玄関から強い風が舞い込んできた。突風だった。だが、私はもうどこへも行けなかった。気がつくと私の腕の中では、安心しきった娘がすやすやと眠っていた。
 
 


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