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道徳科における導入の工夫 NO1

本シリーズでは、授業の入り口である導入の工夫について述べてまいります。導入で失敗すれば途中から子どもの意欲を持たせ主体的な参加を促すことは非常に難しくなってしまいます。そうならないために、本号では第1弾「選択肢を与える問い」についてです。
*前回号と合わせてお読みいただけると幸いです↓

選択肢を与える問い

1 はじめに


主体的に学習に取り組ませるために「自分の意見を持たせる」という方法があります。
逆説的に考えると、自分の考えを持たずに「人任せ」「他人事」の子どもは、学習に対して消極的です。
だからこそ、一人一人に自分なりの考えを持たせることが大切になってくるのです。

2 抽象的な問い

しかし・・・
多くの道徳科の授業は、教師が抽象度の高い問いを投げかけ、その問いに対して一部の理解の早い子どもが答える。そして、その答えを教師が受け取り授業に位置づけ展開されていきます。
その裏で・・・
前述した消極的な子どもは・・・
「今日もあの子の発言で授業が進んでいくんだな」
「私はノートをきちんと取っていればさえいれば大丈夫」
もっというと・・・
「つまらないな(自分には関係ないからな)」
とお客さん状態となってしまうのです。
このような子どもを育ててしまっているのは、何を隠そう私たち教師です。

例えば・・・
【自然愛護について考える授業】
教師:「自然を大切にする人とはどんな人ですか」
Aさん:「毎日、植物に水かけする人」
Bさん:「無駄遣いしない人」
教師:「無駄遣いと自然愛がつながるのかな」
Bさん:ん〜。つながると思うけど・・・
教師:「では今日は、自然を大切する人はどんな人が考えていきましょう」
と教師の問いに対して、理解の早い子どもが答え授業が展開していくのです。
一方で・・・
理解の遅く学習に消極的な子どもは・・・
「AさんやBさんが言うならそうなんだろう」
「今日もいつものようにAさんやBさんに任せておこう」
などと自分の考えを持つことなく「人任せ」「他人事」として授業を聞いているだけになってしまっているのです。

3 選択肢を与える問い

その原因の一つに、教師の問い(発問)の抽象度が高いことが挙げられます。
私たち大人でも「幸せとは何」と問われると、考えるのに時間がかかってしまいます。
つまり、抽象度が高ければ高いほど、何を問われているのかわからなくなってしまうのです。

そこで一人一人に考えを持たせるために有効な問いが「選択肢を与える問い」です。
人は選択肢を与えられると、漠然と考えるよりも考えが焦点化され思考が促されるのです。

そのため、先ほどの問いを次のようにチェンジします。
*次のスライドを提示します。

そして次のように問います。
教師:自然を大切にしている人は誰でしょう。
そして、A、B、Cのどの考えに賛成かを挙手させます。
その後ペアトークで自分の考えをアウトプットさせるのです。
すると・・・
「私はAだと思う。だったその人は花が好きなのがわかる」
「私はBだと思う。お花さんだってそっとしておいてほしい」
「私はCだと思う。そうすれは花が嬉しいと思うから」
など、子どもによってズ考え方のズレが生じるのです。
そして「え?どっちなんだろう」と一人一人に問いを持たせることが出来るのです。

このように、導入で「選択肢を与える問い」を行うことで、一人一人に考え方を持たせ、さらに考え方のズが生じることで問題意識を持ち授業に入ることが出来るのです。

次回は、道徳科における導入の工夫の第2弾「当たり前を覆す」について投稿致します。
*私のnoteでは、2週間に一度、「道徳科授業づくり」について書いております。興味のある方はフォローして頂けると幸いです。





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