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「枯葉」に新しい訳詞をつけた話

 ひんやりとした秋風が吹きだすと、不思議と切ない気分になりますね。こんなときにはシャンソンの名曲、「枯葉」が聴きたくなります。様々な歌手によって唄いつがれており、日本でも根強い人気がある曲ですね。
 日本語の訳詞だと、越路吹雪さんが唄った岩谷時子訳が有名かと思います。かの中原淳一も訳詞を書いていたとは驚きです。

 私は十代の頃にこの歌を習ったのですが、フランス語の発音は日本語話者にとって難しく感じました。それだけに美しく、音楽的な言語のように思ったことを記憶しております。
 しかし、フランス語は日本語と同じく、強弱アクセントを使わない言語だそうです。このへんは詳しくないので識者におまかせいたしますが、共通点はあるようですね。

 当時フランス語版と同時に習ったのが、先ほども挙げた岩谷時子訳です。これは本当に優れた訳だと思うのですが、生意気にも物足りなさを感じる点がありました。それは決して岩谷時子さんへの不満ではなく、訳詞というもの全般に対するささやかな不満だったと言えましょう。以下に挙げさせていただきますが、いち素人の所感としてお目こぼしいただければ幸いです。

フランス語の歌詞 (Google検索)
岩谷時子さんの訳詞

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・ほとばしる情熱が感じられない

 のっけから失礼なことを言ってすみません。枯葉に限らず、日本語の詞というのは「ひしひしとした」情熱を感じるものです。強く訴えかけるのではなく、ただ情景を描写する。そこから匂いたつような哀しみは日本語詞ならではと思います。しかし、全体にあまりにも暗い気がしてしまいます。光と影のコントラストではなく、薄暗い感傷がずっと描かれるような。

 フランス語詞はもっと感情的で、まだ過去の愛を諦めきれていない印象があります。なにせ第一声が”Oh!”なのです。感嘆詞から始まる歌なのです。
 また、フランス語詞には”le soleil(太陽)”、”la mer(海)”という単語が使われています。これらの言葉には、先入観かもしれませんが、フランスの中でも特に南部の鮮やかさを感じます。


・どことなく単調

 先に言っておきますと、これは唄い手の技量でどうとでもなると思います。あと、すみません。本当に。

 岩谷時子訳だと三連符に三音の言葉が多くあてられているのですよ。「まどべ」とか「ひかり」とか。これは訳詞家の鋭敏な音楽的感覚からくるものだと思いますし、おかげでとても唄いやすいです。
 しかし、歌詞冒頭の一文を見比べてみてください。

“Oh! je voudrais tant que tu te souviennes”
「あれはとおいおもいで」

 あえて譜面どおりひらがな表記にしてみました。日本語の詞、短くありませんか?スペルだけの問題ではなく、読みあげた際にも0.5秒くらいの差を感じます。これは日本語に子音のみの発音が少ないことが影響していると思います。一つのフレーズに当てはめられている歌詞(言語音)の量が、日本語のほうが少ないのです。
 そのため、私のような素人が唄うと、どことなく単調で子供っぽい雰囲気が出てしまうのでしょう。

 さて、散々書きちらしましたが、私は日本語を愛しています。決して日本語が音楽的ではないとか、フランス語より劣るとか言うつもりはありません。この話は最後に語ることにします。
 自分が感じる物足りなさは、自分で解消するほかありません。上記の不満点をふまえて訳詞を書いたので、ここで披露させていただきます。楽譜を転載するのは控えますが、実際は譜面とにらめっこしながら一日かけて書いたものです。

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枯葉 /うえ訳詞

ああ どうか思い出して
あの幸せな日々を
熱く燃える太陽と 美しい人生を

枯葉が積もってゆく
ぼくは忘れてないよ
枯葉が積もってゆく
思い出も 後悔も

風が運び去る
冷たい夜に
ねえ 忘れてないよ
きみの歌声を

あのシャンソン
愛しあうふたりのための歌
ぼくらは一緒だった
夏の日も 秋の日も

いつしか引き裂かれた 静かに 音もなく
波は消し去ってゆく ふたりの足あとを

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 うーーーん!いかがでしょうか。個人的に嫌いではありませんが、やや唄いづらいです。
 三連符には三音の単語をあてたほうがいい。結局そう思いました。岩谷時子さん、すごい……。文句を言ってごめんなさい。改めて読むとなんて美しい訳詞なのでしょう。書きながら脱帽しっぱなしでした。もちろん、他に訳詞を書かれたかたがたもすごい。心で実感できてよかったです。

 三連符に四苦八苦していると、この曲に日本語はあわないのだろうか、という疑問が湧いてきました。そこで日本民謡のメロディーに訳詞をつけてみました。地元が割れるので元の曲は伏せておきます。

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枯葉(甚句バージョン) /うえ訳詞

忘れてくれるな 私のことを
お天道さまを 一緒に眺め
日がな一日 すごしたことがあっただろ

鋤に落ち葉が ひらりとかかりゃ
思いだされる お前の笑顔
木枯し一吹き 忘れがたみのこの甚句

恋しと言われりゃ 恋しと返す
それがお前と 私のくらし
今や昔の 今や昔の物語

潮干潟に 足あとつけた
まなこ浮かぶは よいことばかり
お前が唄った 忘れがたみのこの甚句

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 失礼いたしました。曲を伏せているのでわかりにくいかもしれませんが、音の窮屈さがさほど感じられないように思えませんか?あと当然ながら、自然と七五調になりますね。
 とにかく書きやすくて、30分で仕上がりました。曲先(作曲をしたあとに作詞をすること)に苦手意識があったのですが、いけるんじゃないか!?と思いました。まあ、そっとしておいてください。

 西洋音楽と日本語が調和するのか、という議論は形を変えて勃発してきたと聞きますが、その理由がわかった気がします。いえ、本当はもっと「直感の雷」に打たれたような感覚でした。
 今さら西洋音楽に日本語はあわない、とは言いません。しかし、少なくとも日本音楽に日本語があうことは間違いないと感じました。日本語には日本語の「音楽的」なリズムがあることを、再確認した次第です。


『Les Feuilles mortes』作詞:Jacques Prévert

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