本記事はXのポストの転載です。以下、転載。 アンセルムスによる神の存在証明における神の定義(a being than which no greater can be conceived)は、おおまかに、First C…
まえがき 本論文では、「私」という概念の構造を解明する。その過程で、本論文における「私」とウィトゲンシュタインの「私の主体としての用法」の議論における「私」を同…
まえがき 本論文では、私・今・神(旧新約聖書における神)という「名」が何であるかを解明し、これらの「名」を私が用いるということがどういうことであるか、また、これ…
はじめまして。 石井俊太郎と申します。 1990年夏生まれです。
石井 俊太郎
2024年7月19日 00:14
本記事はXのポストの転載です。以下、転載。アンセルムスによる神の存在証明における神の定義(a being than which no greater can be conceived)は、おおまかに、First Commandment=十戒の1つ目(Thou shalt have no other gods before me)の解釈であると気付いた。まず、haveをconceive、go
2023年10月31日 18:25
まえがき 本論文では、「私」という概念の構造を解明する。その過程で、本論文における「私」とウィトゲンシュタインの「私の主体としての用法」の議論における「私」を同一視することによって、ウィトゲンシュタインが考える独我論を、補いつつ取り込む。さらに、他者というものを考えることで生じる歪みを覆い隠すために、「心」という概念が作り出される様を描く。また、第4章までは、「今」という概念についても、その構造の
2023年5月15日 15:41
まえがき 本論文では、私・今・神(旧新約聖書における神)という「名」が何であるかを解明し、これらの「名」を私が用いるということがどういうことであるか、また、これらの「名」を私が用いることで、私がどのような事態に陥るかを解明する。 第0部では、「私」という語が、その語を発する者が誰であるかに依存して2つの異なる仕方で機能することを明らかにする。 第1部では、私・今・神という名を検討するため
2023年5月6日 18:24
はじめまして。石井俊太郎と申します。1990年夏生まれです。